誰の心にも響かない話は書けるのか
タイトル通りの内容が書けるのかという話。
そもそもなんでそんなことを書いて公開するのか、という思いはあるのだけれど…
でも実は誰にでもそういうのあるんじゃないかな。
相手の興味を惹かないだろうと思いつつ、だが口にしてみたい話したいこと。
なので時々思いついたら書いてみようかと。
友人Mさん
彼女の興味の先とか生活様式とかある意味正反対で全然分かってないんだけどライターとして活動してる彼女の文章を読むとわからないのに面白い。
パーソナリティがわかっているのもあるんだろうけど文章として面白いし、ある種振り切ってるというか遠慮なく言わせてもらいますという感じがきちんと伝わる要因なのかもって思う。
今日出かけて色んな人と話したり、1人で考えたことも含めて書いておくのもいいかもって思うこと…
現代音楽が始まる時
僕はストラビンスキーとラヴェルという作曲家が好きなんだけど、今日は特にストラビンスキーについて。
ストラビンスキーは20世紀を代表する作曲家で言わば超有名なわけだけどちょうど20世紀初頭から現代的な技法が始まってその先頭にいたようなイメージがある。
有名な「春の祭典」の初演はあまりにも難解で劇場が大混乱に陥ったという伝説的な逸話などもある。
春が来るとその代表曲「春の祭典」を聴きたくなるのもあって、しばらくストラビンスキーの曲を聴いたりする。
一方で知名度は少し落ちるけど室内楽曲もあって、僕は「兵士の物語」みたいな室内楽、劇音楽的な作品もとても好きだ。
ストラビンスキーは旋律や和声は現代的で不協だったりするけれど形式的には古典の影響も強く、時期によっては新古典主義として語られることもある。
室内楽はその現代的なメロディのために各楽器の音が別々に聴こえて解像度が高いと思う。
ある意味調和していないと言ってもいいかも。
でもそこが面白い。
モジュラーシンセとストラビンスキー
話は変わって、今僕はモジュラーシンセを使っていろいろと試行錯誤してるんだけど、モジュラーシンセって鍵盤を弾いて演奏ではなくて電圧の制御によって音を出すタイミングや音の高さを…まあ、作り出すというのかな。
そのクロックディバイダーとかゲートジェネレータみたいな機構を使って音のタイミングを作るのがなんとなくストラビンスキーの室内楽を思い出させる。
もちろんストラビンスキーのは作曲だしモジュラーを使ってタイミングをジェネレートするのは、ある意味偶然性を作り出す(矛盾した言い方だけど)という部分で違うわけだから比較にならないというか類似とは言わない、とストラビンスキーを知ってる人もモジュラーシンセを使ってる人も思わないだろうなぁ。
という意味で、つまりは誰の心にも響かないかも知れないがこれに共感する人がいたらビックリして笑っちゃうし盛り上がるだろうな。