俺の葬式について考える。
友人のTwitterでの呟きを機に自分の葬式について考えることがあった。これまでも数回は自分が何歳で死にたいかといったことは考えたことはあったが、具体的にどんな葬式をしたいかは考えたことがなかった。以下は具体的に自分がどのような葬式をして欲しいかと言う、ある意味で終活であり、簡易に言うと遺書のようなものである。俺が死んだときに俺の親族に見せてくれ。
俺の葬式は自分が生きてきた中で大切にしてきた事や価値観を反映してほしい。
俺が今現在大切にしている価値観は
「おもしろいこと」
これに限る。それはinterestingとfunnyどちらともである。その中でも俺が特に好きなのがブラックジョークである。もっと簡単に言うと皮肉である。
皮肉やブラックジョークは意外と難しい。そもそもユーモアや言語能力がないと言えない。さらにそこに愛がないと笑えない。つまり、賢くないと言えないのだ。俺の友人は俺より賢い奴がほとんだ。だから俺の葬式の理想は
「ブラックジョークをふんだんに盛り込んだクソ”おもしろい”葬式にしてほしい。」
以下にその一例を示しておく。
•俺の死際のモノマネ
•俺の死因が事故死ならそのパロディ
•保険会社勤務の友人ならその場で生命保険の勧誘
•医者ならその場で俺の死因がどれだけダサいかを医学的に視点からプレゼン
•税関連なら俺の相続税について
•広告関連なら俺の人生のキャッチコピーを汚くも美しく表現してほしい
•教師なら、、、んー思いつかん。任せる
考えだしたらキリがない。どれも間違いなくfunnyであり、interesting でもある。
さらに俺の葬式のスタートは、俺の肉声で、以下のフレーズで始まる。
「俺を笑わせたら、遺産の一部を譲渡する!」
ブラックジョークで始まる葬式。最高だな。
それを期に皆は士気を高め、震え上がる。皆は既に死んでいる俺のために、必死に笑いを取る。絶対に遺産などもらえないとわかっているのにだ。これこそが俺への最大の愛であり、ある意味での俗世間のと決別の意、最大の哀しみの表現なのである。
ここまで読んでくれたわざわざ読んでくれた読者は、俺のことを変態だと笑うだろう。
俺も本当にそう思う。というのも、このアイデアを思いついたのは深夜の業務用スーパーでバナナを手に取ったときなのだから。そのときの微妙にニヤついた俺の顔はどんなブスの女よりも見るに耐えない顔であったことは言うまでもない。
貧乏学生の食費に費やします。