食べることは生きること
何かを好きであることにはいつも理由があるわけではないとわかってはいるけれど、「おいしい給食」を観ているとやはり甘利田先生と神野くんが給食を好きな理由が気になってしまう。とは言うものの、甘利田先生が給食を好きな理由はドラマの初回、二言目にはすでに明らかにされている。母の作るご飯がまずいからだという。一方、神野くんが給食を好きな理由はドラマでは触れられず、劇場版のエンディングでようやく語られる。
甘利田先生と神野くんは給食が好きという点では一見同じようだけど、実は二人にとっての給食は違うもののような気もする。甘利田先生は給食を好きなことを絶対に人には知られたくないと思っているが、それは好きであることを隠しておけるということであり、隠しておけるものというのはある意味では「趣味」のようなものなのかなと思った。趣味というと少し語弊があるかもしれないのでカギ括弧付きの「趣味」ということにしておきたいけれど。一方の神野くんは、全然隠さない。他人の目には関心がない。神野くんが給食を好きなことは誰の目にも明らかで、神野くんがそれを隠そうとしないのは、それが神野くんにとっては「生活」だからではないだろうか。大げさに言えば、給食は神野くんにとっては生きることそのものなのだ。はじめは自分の「趣味」を人に知られないために警戒を怠らなかった甘利田先生も、神野くんの無防備で、だけど健気に生きる姿に何度も"完敗"することで、しだいに心を許していく。
甘利田先生が神野くんに対していつも「闘いを挑む」という姿勢でいたのも、それが「趣味」だからなのだと思うとなんとなく納得できる。甘利田先生が給食を堪能するときにだけ流れる流暢な音楽もいかにもそれが趣味の時間だからなのだとも感じられる。相手に対するライバル意識もほとんどは甘利田先生の一方的なもので、神野くんは甘利田先生のことをライバルだとは思っていない。給食をおいしく食べることは闘いではなく生活の一部だから。神野くんにとって、甘利田先生はライバルなんかではなく彼の最も大切な生活の場面でいつも一緒にいてくれる人であり、それは先生というより家族に近いような存在だったのではないだろうか。
これは私の勝手な想像だけど、私には神野くんが給食以外に充実した食事をしているところがあまり想像できない。給食がない土曜日、甘利田先生は焼きそばパンを食べていたけど、神野くんは何を食べていたんだろう。私には全然想像ができない。甘利田先生には給食がなくても食べるものがあるが、神野くんには給食がなければ何もない。給食のことに限っていえばそれは貧困の問題だけど、貧困はきっと心にも訪れるものだと思うから、給食にも食べることにもそれほど関心がない私にとっても、神野くんや甘利田先生の言葉や振る舞いは他人事だとは思えなかった。
劇場版で私がいちばん印象的だったのは、神野くんが最後に甘利田先生とカップラーメンを食べるシーンだ。給食を食べる神野くんはいつも楽しそうだったけど、甘利田先生とカップラーメンを食べる神野くんは今まででいちばん嬉しそうに見えた。給食以外に、好きな人と一緒に時間を過ごすということが神野くんにとってすごく嬉しかったんだろうなと思った。
私は人から「趣味は何ですか?」と聞かれることが苦手だ。趣味といえるようなことがないからだけど、だからといって「桧吏くんです」とも言えないな(桧吏くんとは俳優の城桧吏くんのことです)。人の目が気になるし、私が桧吏くんのことを好きなのは趣味なのか?という気もする。大人になるといつの間にか一つの顔だけでは生きづらくなって秘密を持つようになってしまう。趣味は秘密にしておくことができるが、生きることは隠しておくことができない。神野くんにはいつも一つの顔しかない。その顔はいつも凛々しく頼もしい。