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あなたの罪は赦された
創立記念の礼拝であった。しかし、マルコ伝の連続講解説教を外して特別に聖書箇所を選ぶ、ということはなかった。教会の設立というものは……というような説明をことさらにしなかった、ということである。それをするのもひとつ、しないのもひとつ、ということである。
歴史が長い、ということの価値もさることながら、教会を創始したのが、すでに日中戦争も始まっていた頃である。日本はすでに国際連盟を脱退していた。治安維持法どころか、国家総動員法まで出ている。大正時代にはかなりのクリスマス・ブームがあったと聞いたことがあるが、20年もすると、時代は正反対のようにもなってゆく。いまの私たちの時代も、どうなるか分からない、とすべきであろう。
説教者は、教会を「還る場所」だと告げた。それは「逃れる場所」だともいう。
「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めんどりが雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。(マタイ23:37)
このイメージはとても美しいし、よく理解できる。そして教会はかくあるべしという、ひとつの理想の姿を示しているともいえよう。ある牧師は、教会堂を建てるとき、雛を庇うめんどりの姿をデザインした形で建設した。
教会の歴史は、決して平坦ではない。だが、何があろうと前進してゆくものである。それを伝えるために、詩編36編を引き、「翼の陰」に「喜びの川」や「命の泉」、そして主の「光」というイメージを人々に伝えた。どこまでも具体的に、そしてビジュアルに、事態を伝えるというのは、いいものだ。そこに、主の「家の豊かさ」というものがどういうものであるのか、はっきりと表されていると分かる。
さて、マルコ伝は2章に入った。四人の男が、体の麻痺した人を担いできた話である。人でごった返していたため、家の中のイエスに会えず、天上を剥がして病人の床を吊り降ろした、というあの大胆なエピソードだ。
屋根の上へは当然のように階段で上がれる構造になっており、平坦な屋上もいろいろ利用できた、そういう当地の家のつくりが分かっていないと、とんでもない暴挙のように誤解されるかもしれない。説教者はそういう点にはさほど関心を払わず、この地がカファルナウムであること、従ってペトロに関わっているのであろうこと、こうした点に詳しく触れた。
また、「イエスが御言葉を語っておられ」た点にも触れ、そこがひとつの礼拝の場であったことを想像させた。ここが、ある意味で「教会」の「礼拝」である、という認識である。そしてそれが、創立記念礼拝に相応しい関連付けであった、とも言えるだろう。
天井が開けられた。その様子も、少しでも実感を伴って想像できるように、説教者は、音がし、光が射し、ほこりが立ち云々と、現場の有様を実況するように話した。また、「体の麻痺」ということについても、訳語の変化についてなどの説明があった。
友人であるのか、近所の人なのかどうかは定かではないが、屋根に穴を空けるほどの思い切ったことをしでかすというのは、よほどの覚悟をもった四人の男であろう。病人が寝ている床を吊り降ろしたのを見た――とは福音書は語らなかった。
イエスは彼らの信仰を見て、その病人に、「子よ、あなたの罪は赦された」と言われた。(マルコ2:5)
ここに、注目すべき点が二つある。まずは「彼らの信仰」である。イエスが見たのは、物理的には、穴を空けて吊り降ろす様子であっただろうが、「信仰を見て」としか書かれていない。見たのは「信仰」なのだった。あるいは、これは単に「信」という概念で緩く捉えておいたほうが、偏らないで済むとも思われる。説教者も、そこにあったのは「信頼」と言い換えてもよい、というような言い方をした。
しかも、特筆すべきは、「彼らの信仰」である。病人の信仰ではない。四人の男たちの信仰なのだ。イエスならばこの友人か誰か分からないが、病人を治してくださる、という強い信頼があった、とも言える。それが神の業であるから、不可能ではない、というように信頼していたのかもしれない。
私たちも心当たりがある。病人当人が治してください、という祈りももちろんあるが、その家族や友人もまた、治してください、とその人のために祈るのである。考えようによっては、それは気楽であるかもしれない。何しろ当人ではないのだ。祈って叶えられなくても、直接の痛みや苦しみがない。乱暴な言い方をすれば、命を救ってください、と他人のために祈る人間は、命が危ないことはないのだ。
だが、それがすべてではない。そこに真実があるとき、他人のために祈る者も、ほんとうに痛いのだ。イエスが深く憐れんだ、というのは、そういうことであるに違いない。さらに言えば、それが「愛」というものなのだ。人がその友のために命を捨てる、というのは、身代わりに死ぬことだけを意味するのではないと思う。友の痛みが自分の痛みと等しくなったときがそうなのたる。これよりも大きな愛はない、と言ったイエスの言葉は、このように痛みを背負うことが、「愛」と呼べるものである、ということを教えてくれたのではないか、と思うのだ。
もうひとつ、イエスは「子よ、あなたの罪は赦された」と言っている点も、説教者は強調した。そのとき、「この人に『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか」(9)という問いかけがなされた。これは、あのめんどりの形に教会堂を設計した牧師も、問いかけたことがある。あのとき一同は唾を飲み込んだ。どきりとしたのだ。
このたびの説教者の理解は、罪の赦しを宣言することのほうが難しい、というものだった。体を治すのは、たとえば医者などができるかもしれない。しかし、罪の赦しを告げることは、人間には誰にもできない、というわけである。また、続いて「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」(10)と言葉を繋いだところを見ても、明らかに、罪を赦すことができる「人の子」が特別であることを示している。
私は、ふと思った。これは、どちらかひとつを答えなければならない問いだったのだろうか、と。どちらも易しくはない、という返答は、ごまかしに過ぎないのだろうか。イエスは、バプテスマのヨハネは天から来たか地から来たか、と問うたが、どちらにも答えられなかった。神殿税として皇帝の像の刻まれた銀貨を納めるときも、両義的な意味を含むような終わり方であった。
しょせん、人間の次元での考察と、神の国の次元での考察とは、等しい基盤で比較選択をするようなものではないのではないか。私たちの地上での生活も、寄留者であるようなものだ、ともいう。神の側からすれば、神の形としてのイエスが僕の形をとって降りてきた。このことを信仰の目を以て初めて、パウロが宣言したのであり、それが信徒の信仰告白の一部のように扱われたのではないか、とも考えられている。
「このようなことは、今まで見たことがない」(12)と驚いたのは、四人の男にあったような「信仰」とはタイプが違うかもしれない。ただ、「見たことがない」というのは、私たちももっと向き合っておきたい言葉だと思う。
説教で聞くときもそうだが、聖書を読むときにしても、何度も同じ聖書を読むわけだ。ああ、この話はこれこれこういう話だ、という気持ちにならないだろうか。この話の意味はこうなんだ、知っているよ、と心で思うことがないだろうか。説教を聞くときにも、聖書を今日もまた読むそのときにも、「このようなことは、今まで見たことがない」という驚きの中で、その都度神と出会うようでありたいと願う。
説教はまだ続く。ギリシア正教会での体験、マルコ伝のこのあたりの中央に「罪は赦された」という宣言が燦然と輝いていること、また日野原重明先生のエピソードなど、盛りだくさんであった。日野原先生は日本で最初のホスピス専門病院を開設した。しかし、その契機となったのが、ひとりの少女の死であったことを聞いた。気の毒な少女でもあり、また日野原医師もこのことを心の中に、消せない疵として遺していた。だが、一粒の麦が、ホスピスの実現という、無数の実を結ぶことを導いたのであった。私の母も、その恩恵に与っていることを思うと、感慨深い。
日野原重明先生は、2018年7月18日、現役の医師のままで、105歳にて天に召された。その告別説教を、聖路加国際大学の主任チャプレンであるケビン・シバー司祭が語った。説教者はその内容からも、話してくれた。
こうして、マルコ伝の箇所には直接扱われていなかった、「死」というものを背景に、後半は語られていった。「死」とはもちろん、肉体的なものがすべてである、と聖書世界では考えない。但し、滅びに至るほんとうの「死」に至るのは、「罪」の力の故である。「罪」によってのみ、まことの「死」がある。説教は、「罪」を目の前に掲げ、これと闘うかのように、流れていった。
「罪」とは何か。案外これを語らない教会が、少なくない。私の教会生活では考えられないことなのだが、事実それはある。罪、罪、と語ると教会に人が寄ってこない、という言い訳を聞くこともある。だがそれでは、恐らく命ももたらすことができまい。さらに、不幸なことに、牧師という職業に就いた人が、実は「罪」を知らない、という場合もある。その神学校では、「罪」ということを教えないし、その自覚が不十分でも、卒業して牧師になることができるのだ。
「罪」とは何か。一言で何もかも言うことはできない。抽象的な言い方ではあるが、それは説教者が語ったように、「神に背を向けること」「神なしで済む生き方をすること」のように捉えてよいだろうと思う。そして、「自分の罪を知ること」は、「イエス・キリストの声を聴くこと」と一つのことだ、というような指摘は本当にそうであって、キリスト者の歩む道のスタートラインは、そこに引かれているのだ、と私は思う。
イエスの「あなたの罪は赦された」という言葉が真実であるのは、私が私の罪を知っているときであるはずである。自分で自分の罪を知らないのであったら、それが「赦された」などと告げるイエスの言葉は、茶番となるだろう。
ハイデッガーは、本来的自己に生きることは、死への先駆を果たしている、と指摘した。人間はその意味では「死への存在」であるという。キリスト者は、そこに「罪」の存在を明確に立てる。それだからこそ、救われるためには、イエス・キリストと出会うことが必要になる。
「罪」は、決定的なものとしては、この出会いと信仰の中で、解決されている。イエスの十字架と復活が、それを果たしたと信じるのだ。
教会の礼拝の祈りの中で、よく聞かれるフレーズがある。「過ぎた1週間、神を忘れて、神よりも自分の都合を優先させてしまうという罪を犯してきました……」とうような言葉である。謙遜な思いを聞くようだが、その教会では、いろいろな祈り手が、そのように祈る。
果たして、それだけだろうか、と私は思う。人間には、どこまでも自己利益のために行動する、という面があることは認めたとしても、「神を忘れて、自分の都合を優先させる」ことばかりではない、という気がするのだ。加藤常昭先生が、「いつも祈っているからね」と言った逸話を先日聞いたが、そうであれば「神を忘れる」はずがない。いっそ、「自分の都合」で何かを選んで行動したとしても、それを「神が選んだ」と信じてはどうだろう。
神がよい道を選んだ、と私は信じて、「自分の都合」としたのだ、という「信仰」は、神なしのただの自己正当化に過ぎないのだろうか。そのように「利用」するのは確かに拙いが、すべてが拙いのではないと私は思うのだ。私の選択も運命も、神が握っている、だから神に委ねている、とというのが、「自分の都合」と呼んだことの正体である場合もあるのではないか、と思うのだ。
ダビデ王は、極めて「自分の都合」で生きてきた。ただ、ダビデは、神の方を向く姿勢を崩さなかった。目を逸らしたときの「罪」はあるが、人間的な失敗や不幸があっても、神に顔を向けていた。神に背を向けはしなかった。その意味で、罪の世界に生きていたわけではなかった。神の懐に還り、神への信頼の中で、平安を与えられることができたのである。そのダビデが、たくさんの詩を書き、おそらく曲を奏でた。今日開かれた詩編36編も、そうである。
神よ、あなたの慈しみはなんと貴いことでしょう。
人の子らはあなたの翼の陰に逃れます。(詩編36:8)