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消しゴムをかける
マルコ伝2:13-17から。徴税人のレビを招いた記事である。説教者は、教会での出来事に関する話をしてから、マルコ伝の特徴について触れた。「すぐに」が口癖のように出てくることはよく知られているが、さらに「そして」がやたらと多いことを指摘する。もう絶え間なく「そして」「そして」と繋いでゆく。選ばれた箇所に、なんと8回も登場するのだ。
日本語だと、まるで小さな子どもの作文である。説教者も、ギリシア語の力は頼りなかったのだろう、としていた。この「そして」の頻発は、知らず識らずなのか、意図的なのか、それを決める力は私にはない。やたらと急ぐような印象を与えるこの文体は、史上初の福音書という文学ジャンルで、後半の多くを占める、十字架に関する記事の意味にも関わるものなのかもしれない。
ひとは、キリストの救いの出来事と、再び来るキリストの終末との、中間時を生きる中で、待ちつつ・急ぎつつ信仰の歩みを続けている、と見られることがある。マルコは、十字架の記事へと読者と共に急いでいるのだろうか。そして、復活をにおわせた瞬間、再び読み直すように促し、キリストと共に歩む旅を経験させようとしているのだろうか。
それから説教者は、この場面を細かく検討する。その解説をここで繰り返す必要はないが、私なりに与えられた知恵については、記すべきであろう。神学的に、語学的に、誤りが多々あるかと思うので、どうか内容の真実性については、眉に唾をつけて共にお考えくだされば幸いである。
収税所というものの社会的意味は、周知のものである。そこに座っていたのが、アルファイの子レビ。これは「マタイ」ではないか、とも考えられているが、さもありなん、という程度で読み進む。このとき、イエスは、集まってきた群衆に教えを説いている。この場面をよく想像することが肝要である。ただ通りがかったのではない。教えがそこに語られ、教えられていた者たちがいるのである。しかも、それは弟子に限定したものではなく、一般の群衆である。
徴税人レビへ、一般人からの、侮蔑の視線が向けられていた。そこへイエスが声をかけるというのは、激しく異常なことだったに違いない。それが、実に「私に従いなさい」という言葉だった。これはレビの「召命」とよく称される。それでいい。イエスとレビとの関係においては、その通りである。
では、群衆はこのときこのイエスの様子と言葉を、どう捉えただろうか。否、群衆自身は、実のところ「イエスに従って」いたのだ。つまり、イエスに付いてきていたのである。イエスのところに集まってきたのである。イエスがレビに、「私に従いなさい」と言った。なんで特別に声をかけるのだ、という思いもあっただろう。そこに含まれていた「召命」など、私たちが勝手に読み込んでいるだけである。群衆からすれば、レビをわざわざ呼んで、自分たちと同じようにイエスについて歩け、という意味にしか取れまい。あるいは「仲間になれ」の意味に聞こえたかもしれない。
どちらにせよ、群衆の仲間に、レビを招き入れた、というふうに考えるのが自然であろう。あの軽蔑すべき徴税人を、俺たちと一緒にするのか、という怒りのようなものが芽生えたのではないだろうか。レビは立ち上がり、イエスに従った。あいにくマルコは、群衆の反応はここには描いていない。ただ、「それから」と訳されてはいるものの、「そして」という語で始まる次の「レビの家の食卓」におけるシーンに、注目すべきである。
15:それから、レビの家で食卓に着いておられたときのことである。多くの徴税人や罪人もイエスや弟子たちと同席していた。大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。
レビの家がいくら金持ちで立派だったとしても、それほど大勢の人が入れたのだろうか。しかも食卓の席である。ここには、次の節で分かるように、「ファリサイ派の律法学者たち」もこれ見ていた。窓の外からなどとは言えない。彼らが口にしたことに対して、「イエスはこれを聞いて言われた」と次に記されている。
この「大勢の人」は、「多くの徴税人や罪人」に限定されるべきかもしれない。但し、イエスの様子を何か探ろうとして、「ファリサイ派の律法学者たち」がついてきていたのかもしれない。つまり、ここにあの群衆がいた、という保証はない、としておかねばならないのである。でも、群衆がやはりいたかもしれない。「すべてのイスラエル人」というように、やたら大袈裟な表現を聖書はとる。ここの「大勢」や「多く」が、私たちのイメージと同じであるとは限らないのである。
しかし、本当に注目しなければならないのは、先ほどの箇所の次の文である。「大勢の人がいて、イエスに従っていたのである。」ここに、いるのだ。「イエスに従っていた」者たちが。本当に大勢であるかどうか、は問わないにしても、少なくとも先ほど「立ち上がってイエスに従った」レビだけではない。もしかすると、イエスは同様にして、歩く通りがかりに、罪人に声をかけ、招いたのであろうか。特に「徴税人」ということは、レビのいた収税所でも誘いをかけ、そこからぞろぞろと徴税人たちを引き連れて、頭取であろうレビの家に向かって行った、というようにしか想像できない。
なお、もちろんこれらの「従った」は同じ語である。レビのところは実のところ現在形であり、「従う」という物語口調に聞こえる。大勢の人のほうは未完了形であるから、「従っていた」の訳し方は適切であろう。従う行為が継続的になされていたことを示す。もちろん、「同席していた」も同様である。
ここで「ファリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や徴税人と一緒に食事をされるのを」見た。このことについては、先に触れた。言った内容は、「どうして、彼は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」というものであった。食事を共にするということは、仲間だということである。群衆が、あの徴税人が自分たちの仲間になるのかよ、と考えたのではないか、という私の想像も、ここにつながってくる。ラビであるのは認められていたであろうイエスが、罪人と共に食事をする、というのは、考えられないことであったのだ。
実は説教者はこの辺りに触れたのち、この先の結びの場面について、語ることをしなくなった。最後には、教会に起こっていたある事柄へと関心を向け、言わば話が逸れてしまったのだ。もちろん、それは教会でのメッセージのためには、とてもよいことであった。それだけは確かである。
「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」というのがイエスの結論であった。あるいは、マルコ伝が下したメッセージであった。ここでいう「正しい人」は、かなり辛辣である。だから、「正しい人」は招かない、と宣言しているのである。
ところで説教者は、この「ファリサイ派の律法学者たち」というところで急ブレーキをかけ、しばらくここに立ち止まって強い口調で語り続けた。これは表示が長いので、以後「ファリサイ派」と略すことにする。
説教者の指摘をここでは再現するが、「ファリサイ派」に「悪人」というレッテルを、私たちは貼りがちである、という問題点を指摘したのだ。これは私が常々胸に迫る思いで苦悩している問題である。
確かに、福音書を素直に読む限り、「ファリサイ派」をイエスは徹底的に糾弾する。だが、彼らと共に食事をする場面もある。「ファリサイ派」がすべて悪なのではない。個々人の区別はあるものだ。イエスを十字架につけたのも、「ファリサイ派」というよりはむしろ「サドカイ派」や祭司長のような権力者のせいのように見えて仕方がない。さらに、パウロに至っては、自分がかつて「ファリサイ派」に属していたという身の上話をするときのほかは、殆ど出てこない。イエスが敵視したような意味で登場することは、皆無である。
これは、「ユダヤ人」はキリストを殺した、という文句を正当化の理由にして、歴史の中でユダヤ人を、キリスト教会とそれの支配する世間が迫害してきたことと比較可能である。
説教者は、「線引き」という言葉で、私たち教会そのものの罪を指摘した。ヤコブ書を思い起こす人がいたかもしれない。だから、説教者ははっきり言う。「「ファリサイ派」は教会の中にいる!」と。このとき、「「ファリサイ派」は牧師・長老に似ている」と言われているなどと謙遜に言ったが、私は断言する。すべてのキリスト者について、それは言えることなのだ。
ただ、神の恵みでもあり、奇蹟でもあるのかもしれないが、当教会は、長い歴史の中で、一度も分裂したことがない、とも言った。教会の中に、線引きをすることをよしとはしなかった、ということであろう。もし誰かが思い上がったことをしても、新約聖書の後期の書簡の中に時々あるように、分裂に至ることがないように、神の霊が愛となって、それを食い止めるように働いたのであるに違いない。誰かが線を引こうとしたときには、きっと誰かが、それに消しゴムをかけていたのだ。
もちろん、過去に甘んじているわけにはゆかない。油断させることが、サタンの仕掛けであるかもしれない。いよいよ私たちは、神の愛を信じ、この「ファリサイ派」の特質を反面教師として、線引きをしたがる性をもつ自分自身を認識し、十字架のイエスを見上げ続けなければならない。私たちは「正しい人」であってはならないのだ。