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まるでなかったかのように
クリスマス礼拝の翌週が、しばしば歳晩礼拝となる。その年を締め括る礼拝である。私は今年は、この「クリスマス」そのものに疑問を呈するような角度から、文章での礼拝説教を試みた。また、「一年」というものも、その区切りが極めて人間の恣意的な都合でなされていることも指摘した。要するに、暦としての「クリスマス」と「正月」を一旦無意味なものにしたのだ。
だがそれは、このクリスマスを無意味にするものではなかった。実際、イエスが人としてこの世に来た、ということについて、アドベント中、じっくりと黙想をしたことになる。もちろん、教会では、私のようにひねた見方を推奨することはない。クリスマスの恵みは、1か月間、たっぷりと語られ、私もそれを受けてきた。
しかし、どこか私のいる場所からのパースペクティブと、似たような景色を、説教者も見つめていたようである。クリスマス礼拝が終わると、「まるでクリスマスなどなかったかのように」流れてゆく世間が持ち出された。否、説教者は、キリスト者自身に問いかけている。「あなたは」というように突きつけてはしなかったが、突きつけているのと同然であった。「あなたは、まるでクリスマスなどなかったかのように振る舞っていないか」と問いかけていたと思うのである。
説教者は、教会で献げられたある祈りの言葉から語り始めた。「自分がキリストを知らない者であるかのように生きてしまう、罪を赦してください」という祈りだったという。そして、その祈りを、説教者自身が、自分のことだ、と言い当てられたように聴いた、とも言った。これだけで、説教者がいかに霊的に健全であるかが分かる。厚かましい言い方のようではあるが、こういう人であるからこそ、安心して、そこから語られる言葉が、礼拝において「神の言葉」である、として聴くことができるのである。
そして、この導入は、今日のメッセージの伏線として巧みに関わってくるのであった。クリスマスと私たちが呼ぶイエスの誕生の記事と、宣教の始まりの記事との間には、謎の空白がある。唯一、そこに橋を架けるのが、ルカ伝である。今日は、そのいわゆる「少年イエス」の逸話である。説明を端折り、核心に入ろう。
巡礼の集団の中で、行方不明の息子を探す両親が、三日後にようやく神殿にイエスを見つける。母は、黙って抱きしめる、というふうではなく、「なぜ、こんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです」とイエスに詰め寄る。すると、少年イエスが応えたという。「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」と。
この言葉には、注目すべき点がある。イエスが福音書の中で、初めて語った言葉なのである。ここから、説教者はこのイエスの言葉について、幾つかの観点から掘り下げてゆき、私たちがクリスマスなどなかったかのように振る舞う危険について、そこへとつなぎ、重ねてゆく。だが、ここは説教の再現の場ではないので、私の中に渦巻いたことを、説教の筋道とは離れて、ここに綴ろうと思う。
「どうして私を捜したのですか。」まず、この言葉が心に響いてきた。それは、様々な形で、私に響くことがありうる言葉だった。「捜す」ということは、そばにいない、ということである。また、どこにいるのか分からなくなっていること、見失っていることを意味する。イエスを捜している自分というものは、どういう状態なのであろうか。
説教者の言い方を借りれば、イエスが「あなたと共にいる」と言ったからには、イエスを捜す必要はないではないか、という考え方もあるだろうが、実のところ、勝手に「共にいる」と人間のほうが思いこんでいるのではないか、問い直すべきなのである。「イエスをくちゃくちゃのハンカチのように消費する」私たちの姿を省みよ、ということだ。必要なときには自分のために使うものの、用が済めば乱雑に扱いポケットの奥に押し込んで隠してしまうのである。
このように、「どうして私を捜したのですか」という言葉には、私たちがイエスを見失っていることを暴き、さらには、イエスを自分の思い通りに操ろうとすらしている実態を、明らかにする力があった。魔法のランプの魔人のように、自分の都合よく利用してやろうという魂胆があるのではないか。それに気づくべきではないか。警戒しなければならないのではないか。
他方、「どうして私を捜したのですか」という言葉には、まだほっとする部分もあるような気もする。イエスを捜しているからである。確かに見失っている。だが、イエスを捜しているのも事実である。自分にはイエスが必要である。求めている。捜している。イエスを棄てているのではないし、縁を切ろうとしているのでもない。いなくてもいい、と見限っているわけでもない。まだここには、神を信じ、求める動きがある。これはまだ、希望があると言えるかもしれないのではないか。
この言葉に続いて少年イエスは、「私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」と言ったという。説教者は、ここにも幾つかのエピソードを交え、深く探る語りを続けた。その中で、昔の信仰者の姿勢だと断りながらも、洗礼を受けたら、そのまで日曜勤務の仕事をしていたならば、それをやめて日曜が休みの職場を探し、教会生活を優先するようにするのが標準だった、というようなことも話した。
そうか。いまではそういう傾向ではないんだ。私はそう気づかされた。詳述はしないが、私は京都では、キリスト教に関わる組織に属していたので、日曜日は休むのが当たり前だった。だが、福岡に戻ると、民間企業で、そうはいかなくなった。採用のときには月に一度は休みとなるふうであったが、入ってみるとそれがなくなったのである。私は気が滅入り、退職願を出したのだが、引き留められて、日曜日の休みを与えられることとなった。但し、それは給与が大幅に下がる結果となった。私は、自分本位な理屈ではあるだろうが、周囲の誰よりも「多くの献金」を献げることができた、と考えていた。
「私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか。」それは、説教者が原語の感覚を取り入れたならば、「父の家にいるに決まっているではありませんか」というほどの強い意味合いをもっているのだという。私たちが教会に属するという言い方をするとき、教会にいるに決まっているじゃないか、と言いたいものである。
但し、それが建物の「教会」であるとは限定したくないし、組織の「教会」でなくてもよい、と私は自分の身を思う上で、捉えている。この辺りは、実際に牧会をする立場の方からはけしからんと言われそうである。実際、加藤常昭先生も、教会あってこそ、という姿勢を崩すことはなかった。
こうした議論において、私は「教会」という言葉が指しているものに、様々な解釈が伴うものであるだろうことを予想している。なにも「見えない教会」に属していればよいのだ、というような結論を用意しているわけではないが、見渡す現実の風景の中に、「信仰」というものが死んでしまった「教会」を見出すことは、決して稀ではない。そこに縛られて、聴くに堪えない「説教」を聞かされていると、本当に聴く者まで「信仰」が荒んでゆく。そういうところに無理に出向いて忍耐して礼拝の時間を過ごすような必要は、全くないのである。つまり、加藤常昭先生のような説教者の伴う礼拝が、世間の教会のどこにでもあるわけではないのだ。全称命題として、「教会は」と述べることができないわけであり、「教会」という語の内包の差異を無視することはよろしくないと考えるのである。
しかし、「私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」という言葉には、まだ心に刺さってくる箇所がある。「知らなかったのですか」とイエスが私に向けて言う。呆れるように言ったのかもしれないし、時には教え諭すように言ったのかもしれない。パウロが時に、「そんなことも知らないのですか」と教会の信徒にぶつけるのは、時に若干見下すようなものを感じないわけではないが、イエスは、たとえ少年といえども、冷たく言うことはないだろう、ということを前提にしよう。
「知らなかったのですか」は、私が全く気づいていなかったことを暴露する問いである。私の考えが及んでいなかったことを指摘する言葉である。ここには二つの次元がある。ただ単に、私が知らなかったのだ、という無知の次元。それから、私が自分は知っているつもりでいた愚かさの次元。ソクラテスは、自分が知っていると思い込んでいるに過ぎないソフィストなどを、哲学とは反対の考え方だと証明したし、イエスも後に、ファリサイ派の人々などが、正にそうであることを追及している。
イエスの両親(ここにはマリアやヨセフといった名は出てこない)がそうだ、という意味ではないと思うが、説教者が戒めたことは、「イエスが期待したとおりに従ってこない」と考えるかもしれない人間の一面であった。自分の期待通りに神を操ろうとす不届きな考えだが、これはいつの間にか信仰とすり替わるようにして、私たちがその沼に吸い込まれているかもしれない、危険な罠である。
「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」という、イエスの初めての言葉を、ルカ伝は描いていた。そこには、私たちの陥りやすい思考と信仰の罠が隠れていたように思う。その意味では、いまこうしてその危険を警戒しているということは、何らかの形で危険に気づいている、ということをも表しているだろう。このことは、「まるでクリスマスなどなかったかのように」なりかけていた私たちを、繋ぎとめるだろう。
説教者の方向性としては、「礼拝」あるいは「教会生活」と「日常生活」との乖離を避けるべきである点へ、会衆を導くことだったと思われる。聖書や教会が、何にでも簡単に解答をもたらすわけではないから、安易に正しいと思われることを口にして、それが決定的に力をもつわけではないだろう。私たちは、天の原理と地の原理と、両方が接するところを生きている以上、双方の影響を、その場その場で切り分けていることになるが、安易に教会に属している自分を優位に見る傾向性を覚らなくてはならない。
説教者は初めのほうで、「教会でほんとうのクリスマスを」との誘い文句にも、警告を与えていた。確かに街ではイエス・キリスト不在の「クリスマス」が商業と欲望の中で飛び交っていた。だが、教会の私たちもまた、「まるでクリスマスなどなかったかのように」日常生活の場で、信仰など関係がないかのように行動していたとしたら、より悲惨であることだろう。そのようなファリサイ派の人々を、イエスが徹底的に非難したのである。
「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」という言葉を、もう一度楽観的に受け止めてみよう。「イエスを捜す必要はない」のであり、そして「イエスのいるところが、いまこの言葉を受けていることによって知ることとなった」のである。もはやいま、礼拝を通じて、神の言葉を受けている。イエスの言葉と出会っている。イエスの言葉は、イエスの出来事である。その神の国の出来事は、私たちの日常生活の出来事と、ひとつになることができるはずである。
「まるでなかったかのように」していないかを戒めつつ、「たしかにイエスの言葉の出来事の中に身を浸しながら」、希望の歩みを、今日、新しく始めようと思う。