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イエス・キリストの物語

妙な批評を、説教に向けるつもりはない。それが神の命を伝えるものであるかぎり、善し悪しを言う立場にはない。いつも、いのちのことばをもたらす説教が届けられるのは、本当にうれしく思っている。ただ、今日の説教は、特にそのいのち輝く言葉が、凡ゆる形で注がれてくることを覚え、感涙ものであった。
 
まず「聖書は面白い」という宣言から入る。そこから、いま連続講解説教で扱っている、マルコ伝の口癖について告げるのである。そう、もちろんあの「すぐに」である。今日開かれているのは1:29-39。聖書協会共同訳では「すぐ」という語として現れる。シモンのしゅうとめの癒やしの場面である。
 
マルコ伝は、この「すぐに」により、場面がスピーディに展開するが、書いた当人はさして気にしていない可能性もあるだろう。それでも、この言葉が、私たちを急かすかのようにして、イエス・キリストの物語に私たちを巻き込む力をもっていることを知らせる。今日のメッセージは、聖書の物語に私たちが参与するという、当たり前といえば当たり前のことを強調するものだった。それは、私もまたそのような話をしてみたいと思うものだし、すべて礼拝説教というものは、そうでなければならない、とも考えている。
 
マルコ伝の当該箇所の少し前から、同じ一日のことを物語っている、という。カファルナウムの位置づけを説明し、シモン・ペトロにとりめくるめく出来事が起こる一日を追いかけてゆく。その日、安息日にイエスは会堂に入り教えをなしたのだが、汚れた霊に取りつかれた男を癒やす。安息日にこうしたことを行うことは、その後イエスの命を奪う事件ともなるのであるが、この時にはまだそれはない。
 
但し、夕刻となり、安息日が明けたとき、病人や悪霊に取りつかれた者を連れた人々が集まることになる。その狭間に、シモンのしゅうとめの熱を下げる奇蹟をイエスは行う。また、翌朝も人々はイエスを求めてやってくる。
 
ここで、説教の指摘に気づかされることがあった。翌朝も、困っている人がイエスを訪ねて来たに違いないのだが、イエスはほかの町や村に行くことにするのである。つまり、イエスはカファルナウムの人を棄てたのである。癒やしを求めてやって来ても、イエスは相手にしなかったのである。
 
聖書には、イエスの奇蹟に助けられた話が多々ある。だが、誰もが同様に救われるわけではない。こうすれば成功する、という本に従ってみても成功するとは限らないことにも似ている。ただ、イエスの救いは、この世での成功云々とは質が決定的に異なる。イエスの癒やしは確かに救いであるが、肉体の癒やしよりも、さらに重要な業がもたらされるからである。
 
奇蹟よりもなお、イエスはここで宣教を選んでいる。地上生涯では、とにかく限られた時間の中で進まなければならない。マルコ伝の「すぐに」は、イエスをある意味で駆り立てるものとなる。説教者の告げたとおり、イエスはすぐに捕まえられ、すぐに十字架に架けられることになる。しかしまた、すぐに蘇り、私たちに命を与えたのでもあった。イエスは急ぎつつ、福音を知らせ、神の業を明らかにしてゆくのだ。
 
イエスが、しゅうとめの「手を取って起こ」したこと、起き上がった彼女が「一同に仕えた」ことなどを、説教者は語る。先の訳では「もてなした」とあるのを、今回の「仕えた」に積極的な意味を見出す。これは動詞の未完了形である。単発で終わった出来事としては感じられない。「仕え続けた」というのは訳し過ぎかもしれないが、その意を汲んでよい。
 
しかも説教者は、この「仕える」の語がマルコ伝でいま初めて登場したことを指摘する。弟子たちを集めたときにも、この語は現れなかった。拠点なるカファルナウムの一女性が、初めて仕えることをなし、ここに真の弟子が生まれた、とまで説教者は言う。
 
では私たちは、さらに完全に乗り遅れているのだろうか。他の弟子たちとイエスは、この場面の初めに「一行」と称される集まりだった。説教者は、この「一行」という言葉に少しばかりときめく。「イエス様御一行」とは、なんともうれしい扱いではないか。私たち礼拝者は、礼拝のプログラムを終えて自宅に帰るのだが、このツアーから外れたわけではない。以前として「イエス様御一行」の一員として、新たな場に置かれたことでよいではないか。
 
そう。説教者は言った。「これは私たちの物語です。」聖書は、昔話でもないし、他人事の話でもない。イエス・キリストの物語は、私たち一人ひとりの物語であるのだ。理想的には、私が自分自身の物語を語ろうとするとき、それがいつの間にかイエス・キリストの物語を語っている、というようになったらよいのである。
 
マルコ伝は、史上初めて登場した「福音書」という文学形式である。それはフィクションめいて聞こえるかもしれないが、確かな神の事実である。神の出来事であり、神の真実の言葉である。キリスト者とは、そのように信じている者のことをいう。聖書に書かれている出来事は、自分の物語である、として聞くのであり、自分の体験と物語とが、渾然一体となって生きているような時空となっているはずなのである。
 
さて、他方ここには、注目すべき対象がある。イエスが「多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった」という場面に登場する、その「悪霊」である。これこそ現代人からすれば、フィクションだと決めつけられる代表であろう。だが、戯画的に描かれた、矢印の尻尾の黒いヤツだと信じてしまうから、恰もフィクションであるかのように信じられるのかもしれない。説教者の辿る道をここですべて再現することはできないが、後半で説き明かされた悪霊について、いましばらく視線を落とそうと思う。
 
この悪霊は、イエスに追い出されたが、イエスが「悪霊にものを言うことをお許しにならなかった」ことは重要であろう。悪霊は、「イエスを知っていた」のである。イエスは神の子だ。それを言いふらすことは、イエスの本望ではなかった。人間は何をそこに求めるか。癒やしである。パンとサーカスである。地上の楽園であり、満たされた生活である。だからまた、イエスをこの後も追いかけてゆくことになるし、イエスはそれを避けて隠れたところに逃れもする。
 
イエスの奇蹟は、「しるし」としての奇蹟であるはずだ。説教者は言う。「神の国はすぐそこに来ている」と。もちろん、まだそれは不完全な姿であろう。究極の神の国は、将来を待たねばなるまい。しかし、「神の国は近づいた」のも確かである。私の手許で、その奇蹟は起きなかったかもしれないが、誰かのところで起きている。
 
説教者は、4世紀から5世紀にかけて、聖書翻訳で名高いヒエロニムスの話を持ち出した。癒やしはすべての家で起こるわけではないが、荒唐無稽な話ではない。一人ひとりへ奇蹟は来る。「罪の熱病」を癒やすのだ。そのような指摘をしたというのである。
 
説教者は警告する。ひとは fanatic になりがちである、と。「狂信的」と訳すのが適切であるが、場面によっては「熱狂的」と呼んでもよい。その「罪の熱病」という言葉の意味するところが、それであるというのだ。
 
たとえばそれは、イエスの癒やしの業にときめき、そのことしか目に入らなくなることである。しかしこれは、キリスト教世界では、よくよく戒めておかねばならないことでもある。ことさらに例示しないが、fanatic になることは、ありがちなのである。
 
ここで、アメリカの新大統領の、ワシントン国立大聖堂での礼拝の話題に入る。報道されているのでここで説明することはしないが、そこで聖公会のマリアン・エドガー・バッディ主教が、non fanatic に語ったと評価するのだった。その「かつて私たちは皆、この土地ではよそ者だった」ことを告げる言葉を取り出したのは、説教者の姿勢を表していた。だがそれは、政治的な主張をしようとするものではないだろう。その信仰についてであった。
 
イエスは、癒やしを目的とはしなかった。奇蹟で喜ばせようとはしなかった。永遠の命を人に与えるための使命があった。イエスは「すぐに」十字架へ走って行く。イエスは「すぐに」復活した。それは、春の季節だった。説教者は、いま来ようとしている春へと私たちの心を向けさせた。それは復活の希望のことでもあった。
 
礼拝から私たちはまた日常に還る。だが神の言葉を受けた私たちは、イエス・キリストなしに還ることはない。家へ向かうその道にも、イエスが先立って歩いていた。どんな環境にあろうとも、私たちは、もう独りではない。
 
このイエスは、人間的な fanatic に目を奪われることから守ってくださるであろう。イエスを見よ。イエスを見ている自分が優位に立つとき、ひとはイエスを利用して、自分を神とするであろう。だが、私が自分自身の物語を語ろうとするとき、それがいつの間にかイエス・キリストの物語を語っているようでありたい、と先に挙げた。このとき、fanatic は、祝福された信仰だと見なされないであろうか。
 
礼拝という、一時的な神の国の座から、世に戻ることを余儀なくさせられる私たちであるが、そこに戻るとき、復活のイエスが共にいるならば、きっと心配は要らないのだろう。そこにあるのは、イエス・キリストの物語として、私のために刻まれているものであるだろう。

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