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表メッセージ

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もう裏だなんて思わない。堂々と、幸せのニュースをお伝えします。日曜日の礼拝ごとに、一週間の生きる力を、人生を変える力を、神の言葉がもっていると確信していますから、それを指し示す取…
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2023年1月の記事一覧

終わりの日のために (ヨハネ6:28-40, 出エジプト16:31)

終わりの日のために (ヨハネ6:28-40, 出エジプト16:31)

◆パンについて
 
「ごはんができたよ」。日本人だったら「ごはん」という言葉が相応しいでしょう。それは、米の飯を意味する言葉ですが、同時に広く「食べるもの一般」を指すときに使うことができます。パンでも麺類でも「ごはん」と呼ぶことがありますね。聖書の書かれた地域の文化では、「パン」がそれに当たります。主食と言えるであろうパンが、広く食べるものを示す言葉として通用するのです。
 
いわゆる「最後の晩餐

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悪者による幸福論  (詩編1:1-6, ローマ4:6-8)

悪者による幸福論 (詩編1:1-6, ローマ4:6-8)

◆幸福
 
幸福とは何か。誰もが問うでしょう。問わねばなりません。でも、これこれだ、と簡単に答えておしまいにするのもどうかと思います。結論が出ないような気もします。それでも、問い続けます。しかしまた、自分が生きるその場面では、何かしらの答えを胸に懐いて、進んでいくしかないに違いありません。
 
このように、幸福についての問いは、ある意味で矛盾極まりないものです。いえ、そもそも問いというものは、穿っ

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痛みを伴う叫び (エレミヤ17:5-18,ローマ1:9-10)

痛みを伴う叫び (エレミヤ17:5-18,ローマ1:9-10)

◆執り成しの祈り
 
ひとは、一人で完結することはありません。一人だけで立つことができるならば、それは「絶対者」です。神は本来、そういうお方です。ひとは、相手を必要とします。「他者」があってこそ、ひとであることができます。絶対者ではないのです。その「他者」のひとつとして、神がいるというとき、ひとは信仰者となります。その神をキリストとして知るとき、ひとはキリスト者となります。
 
キリスト者は、祈り

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表メッセージ・無価値な思い (申命記22:5,ローマ1:26-28)

表メッセージ・無価値な思い (申命記22:5,ローマ1:26-28)

◆避けられない挑戦
 
普通、一定のことを調べてからお話をすることにしています。どんな分野でも私はしょせん素人ですから、調べたくらいで物事を知り尽くしているかのように言うことは慎むべきだ、とも思っていますが、それでも語る上では、最低限のことは調べてからお伝えしなければならない、というくらいの常識は弁えているつもりです。
 
けれども、今回は諦めました。もう少し調べてから、と思っても、無理でした。あ

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洗礼者ヨハネとは誰か (ルカ3:15-18,イザヤ40:1-11)

洗礼者ヨハネとは誰か (ルカ3:15-18,イザヤ40:1-11)

◆洗礼者ヨハネへの期待
 
マルコによる福音書では、特にその冒頭から、洗礼者ヨハネが登場します。今日は、もう少し説明をつけたルカによる福音書を読みます。ルカは、ご存じのようにクリスマスの記事を熱く語っていますから、洗礼者ヨハネの記事は3章からとなります。
 
それにしても、洗礼者ヨハネとは何者なのでしょう。いえ、その出で立ちや言葉については新約聖書によく記されているのですが、どうしてイエスの登場に

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