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礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だ…
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#ルカによる福音書

まるでなかったかのように

クリスマス礼拝の翌週が、しばしば歳晩礼拝となる。その年を締め括る礼拝である。私は今年は、…

たかぱん
1か月前
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窓の外の白い世界へ

クリスマス礼拝。ルカ伝2章の最初が開かれた。非常にポピュラーな箇所である。これぞクリスマ…

たかぱん
2か月前
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名も無き者の希望

アドベントの第3礼拝である。マリアの賛歌を開く。但し、マリアの賛歌の解説をしようとするも…

たかぱん
2か月前
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悔い改めと救いの道

二つめのアドベントのメッセージであるが、この朝は韓国からの伝道師が担当している。ルカ伝が…

たかぱん
2か月前
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救いの音を待ちながら

マルコによる福音書の連続講解説教は、アドベント(待降節)の期間に入り、一時中断となった。ア…

たかぱん
2か月前
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目を覚ますことと祈ること

説教に「まくら」などという言葉を使うのは不適切かもしれないが、説教者により、いくつかのタ…

たかぱん
9か月前
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楽しく厳しい説教

子どものための礼拝を別枠でつくるということは時折あることで、しかし年に何度か、子どもたちの礼拝も大人の礼拝も一緒に開く、ということも試みるのが普通である。私のいたある教会の場合は「合同礼拝」と呼んでいた。   ところがいまのこの教会は、驚くべきことに、主日には六つの礼拝式を行っているという。教会学校という部門を三つに分けて数えているためであるが、それでも、中心となる成人礼拝のほかに、それより早い時刻の礼拝と夕方の礼拝とがあるというので、牧師も多忙である。奉仕する方々にも頭が下

へりくだって祈れ

「交換講壇」と呼ばれるものがある。近隣の教会で、牧師が交替して、互いに別の教会で礼拝説教…

たかぱん
1年前
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倒し、立ち上がらせる福音

大晦日だろうが元日だろうが、主の日は主の日である。長時間労働だとか2日連続では説教ができ…

たかぱん
1年前
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冒険の始まり

さあ、冒険の旅に出よう。   それは、自ら望んでいなかった冒険であった。しかし、何ものかに…

たかぱん
1年前

神の国は近い

この説教者は、新約聖書はしばしばルカ伝から語っていた。もちろん意図的である。このルカ伝は…

たかぱん
1年前
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何を献げるのか

宗教法人格をもつ政治団体が、ようやく社会問題化されるようになり、その「献金」が問われてい…

たかぱん
1年前
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あなたは神のもの

突然少し面倒な病気に苛まれ、説教を神学生などに任せることが続いた説教者。体調がどこまで回…

たかぱん
1年前

昇天と祝福

今週18日木曜日が、教会暦での「昇天日」にあたる。ルカの記録に基づき、イエスの姿が空に見えなくなったことに基づく。しかし、そこだけにこだわるよりも、この一連の出来事の中で最も大事なことは、イエスの復活である。   説教者の内容のレポートをする場ではないので、その軸になるところと、私の思いとのつながりについて、押さえてみたいと思う。説教者は常に、そのような「つながり」、あるいは「関係」ということに関心をもっている。あるいは、そこに目と心を注いでいる。   復活の主イエスと、あな