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今シーズンの冬期講習の日程は最悪だった。日曜日に休めなくなったのだ。そのため、ライブで礼…
マルコによる福音書の連続講解説教は、先週から始まった。先週は、16章の復活に関する記事が、…
いったい、幾人のキリスト者が、この聖書箇所を、人生の岐路で与えられてきたことだろう。アブ…
今日はゲスト説教者。アジアを中心とした地域への支援者を育成する機関の代表者であった。もち…
教会に棺が入れられ、共に礼拝をする。もちろん、そこに置かれたのは魂そのものではないし、ま…
開かれたのは、アブラハムの試練の箇所。イサクを献げよと神が命じたことに、いわば素直に従っ…
近年、ハガルについての考察に出会うことが多くなった。私が男という立場でいるからだろうか、フェミニズム的な観点からこのハガルを取り扱うものに触れると、ひたすら「すみません」という気持ちになってくる。そして、そのような姿が、また「けしからん」と言われることを予想して、辛くなる。 ハガルは、自分に語りかけた主の名を、「あなたはエル・ロイです」と呼んだ。「私はここでも、私を見守る方の後ろ姿を見たのでしょうか」と言ったからである。(創世記16:13) 「私を見守る方」だと神のこ
「破れ口」という訳語は、聖書協会共同訳では、ヨブ記30:14だけになってしまった。私の中で記…
「カクテルパーティー効果」を思い出す。そこは、様々な声や音で雑然としたパーティ会場。だが…
その朝、子どもが授かることについて悩んでいた人から、よい知らせが届いた。やがて礼拝が始ま…
いったい時間とは何か。誰も私に尋ねないとき、私は分かっているつもりである。だが、尋ねられ…