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礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だ…
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#説教

背負い、担い、救い出す

2024年の敬老の日という国民の祝日は、9月16日である。この時期に、教会でもその趣旨を受けた…

たかぱん
5か月前
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光につつまれた都

「礼拝はままごとではない!」はっきりとした言葉が説教者の口から零れた。そこで命の水を飲み…

たかぱん
7か月前
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神の怒りから愛の歌へ

4月26日午後、加藤常昭先生が召された。縁のある教会である。牧会したということではなかった…

たかぱん
10か月前
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キリストの中で

黙示録の講解説教は、14章に入り、本日は「三人の天使の言葉」というタイトルがつけてある箇所…

たかぱん
1年前
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一粒の麦と永遠の命

その日は、妻の父親の誕生日であった。2年前に亡くなった方であるが、誕生日を忘れないように…

たかぱん
1年前

歴史的礼拝

2003年10月8日、日本のキリスト教会の説教は、ひとつのピリオドを打った。   主日礼拝に、説…

たかぱん
1年前

ウーアイ

黙示録は8章にさしかかる。一時小休止を迎える。しばし風が止む。天使の手に渡された香が、聖なる者たちの祈りに添えて献げられることになる。香の煙が静かに神の許へと立ち上る。聖なる者たちの祈りも立ち上る。すでに黙示録の5章で「この香は聖なる者たちの祈りである」とのイメージが描かれていた。   私はこのイメージを、教会のポスターに使ったことがある。ずいぶん昔のことだ。私たちは、祈るべきだ。祈りは天に届くだろう。そんな気持ちで作ったのだろうと思う。   説教者は、そんな甘いムードに流さ

吊り橋と縄

黙示録の連続説教も第7章に入った。「大地の四隅に四人の天使が立って」おり、風が吹き付けて…

たかぱん
1年前
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永遠へのステップ

改革派の重鎮と言ってよいであろうか、吉田隆先生の訳による、「ハイデルベルク信仰問答」の問…

たかぱん
1年前

開かれた門を見たらその次には

文学的比喩やレトリックの中には、その時代や文化を共有する相手にでなければ通じない、という…

たかぱん
1年前
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魂を揺さぶる語り

諸事情から1ヶ月ぶりのその講壇は、長かった。話したいことが溜まっていたかのようであった。…

たかぱん
1年前
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人生の滲む説教

今週もまた諸事情で、ゲストの説教者となった。あまり立ち入ったことをご紹介するのは控えたい…

たかぱん
1年前
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幻の風景

教会の説教は、神の言葉であるべきだという。「私の語る言葉は神の言葉だ。礼拝後、とやかく言…

たかぱん
1年前

イエスの眼差しの中で

黙示録を続けて読んでいる。今日は、スミルナの教会宛の手紙。エフェソに続いて二つ目であるが、この二つの都市の「距離」は、56kmほどであるという。福岡人として考えると、北九州市までの距離である。また、福岡から西南西に56km進むと、玄海原子力発電所がある。   この大都市スミルナには大きな教会があったようである。2世紀半ば、ここの司教ポリュカルポスは、イエスと似たような形で逮捕され、殉教する。当時ローマ人からすると、多神教の神々を信じないキリスト教徒は「無神論者」と呼ばれていた