シェア
この教会には、もう一人の説教者がある。この説教者は、詩編を、すべてではないが、初めの方か…
十字架と復活を語る春であったため、久しぶりの黙示録講解説教である。15章から再開し、その全…
第一コリント書の最後の16章は、些か落ち着かないところがある。直前でまとまった復活論を述べ…
黙示録の講解説教も12章まで来た。後半に入るわけだが、説教者はこの12章を、オペラ劇のようだ…
年頭の礼拝では、新たな年の抱負のようなものを含む説教が語られることもある。だが1月と4月…
2003年10月8日、日本のキリスト教会の説教は、ひとつのピリオドを打った。 主日礼拝に、説…
黙示録の講解は、まだ始まったばかり。「天上におられるキリストの姿」という新共同訳の小見出しに対して、なぜ天上なのか、と説教者は疑問を付す。パトモス島にいたヨハネが声を聞き、振り向いた後ろにいた方がキリストであるとすれば、どこから「天上」が出てくるのか。あいにく、聖書協会共同訳でも小見出しは同じである。もちろん、小見出しは訳出した会社が任意につけたものであるから、それは「聖書」ではない。新改訳のように何も付けないのは無難だが、確かに小見出しがあると便利ではある。しかし、なんとも
教会の創立記念の礼拝に出会うと、教会の歴史に触れることができるが、それ以上に、教会の信仰…