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マルコ伝2:13-17から。徴税人のレビを招いた記事である。説教者は、教会での出来事に関する話…
創立記念の礼拝であった。しかし、マルコ伝の連続講解説教を外して特別に聖書箇所を選ぶ、とい…
マルコ伝の連続講解説教を引き継ぐ今日は、1:40-45が開かれた。「規定の病」の患者がイエスの…
妙な批評を、説教に向けるつもりはない。それが神の命を伝えるものであるかぎり、善し悪しを言…
マルコによる福音書の連続講解説教は、前回、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音…
七五三の習慣がある日本では、この時期に、子どものための祝福式を設ける教会は多い。6月に「…
マルコ伝の連続講解説教として、前回「洗礼」をテーマにしていたことから、次はいわゆる「荒れ野の誘惑」となる。マタイ伝とルカ伝とでは、ここにかなり詳しい逸話が掲載されている。悪魔が三度イエスを試すが、イエスは旧約聖書の言葉の適切な解釈により、悪魔を退けるという具合である。しかし、原版であるのか、マルコ伝はここは非常にシンプルである。短いので2節とも引用しよう。 それからすぐに、霊はイエスを荒れ野に追いやった。イエスは四十日間荒れ野にいて、サタンの試みを受け、また、野獣と共にお
マルコ伝を読み始めている。「神の子イエス・キリストの福音の初め」(1:1)というスタートにそ…
マルコによる福音書の講解説教が、ゆっくりと始動する。最初の1節、「神の子イエス・キリスト…
マルコによる福音書の連続講解説教は、先週から始まった。先週は、16章の復活に関する記事が、…
ヨハネの黙示録の連続講解説教が先週終了した。休む間もなく、続いて「マルコによる福音書」の…
復活祭礼拝。確かに、復活ということが信じられないので、教会に行くのが憚られる、というケー…
受難週を迎えるにあたり、十字架そのものよりは、エルサレム入城のほうが、選ぶ聖書箇所として…
「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」(マルコ8:27)とイエスが問う。弟子たちは様々に答えるが、ペトロが、「メシア」だと言う。もちろん語としては「キリスト」だが、新共同訳以来、ユダヤ教の脈絡から言われているものはユダヤ式に「メシア」と訳すようになっている。まだ違和感がないわけではないが、そについてとやかく言う立場にはない。 キリストの受難を思う期間、連続講解としての黙示録は休止している。ここで、非常に禁欲を強いるような教会や教えがあるという。だが、説教者はその考