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礼拝説教は、神の言葉。いのちある説教に対しては、それを受けていまここでおまえはどうするのだ、という問いかけがあります。何らかの形で、それへの応答を、祈りのように告げることが必要だ…
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#教会

まるでなかったかのように

クリスマス礼拝の翌週が、しばしば歳晩礼拝となる。その年を締め括る礼拝である。私は今年は、…

たかぱん
1か月前
3

窓の外の白い世界へ

クリスマス礼拝。ルカ伝2章の最初が開かれた。非常にポピュラーな箇所である。これぞクリスマ…

たかぱん
2か月前
3

名も無き者の希望

アドベントの第3礼拝である。マリアの賛歌を開く。但し、マリアの賛歌の解説をしようとするも…

たかぱん
2か月前
5

光につつまれた都

「礼拝はままごとではない!」はっきりとした言葉が説教者の口から零れた。そこで命の水を飲み…

たかぱん
7か月前
2

大きなキリスト

第一コリント書の最後の16章は、些か落ち着かないところがある。直前でまとまった復活論を述べ…

たかぱん
10か月前

子ろばに身を置いて思うこと

受難週を迎えるにあたり、十字架そのものよりは、エルサレム入城のほうが、選ぶ聖書箇所として…

たかぱん
11か月前
1

悪魔に対する勝利

黙示録の講解説教も12章まで来た。後半に入るわけだが、説教者はこの12章を、オペラ劇のようだ、とまず称した。芸術に疎い私には、もうひとつのその喩えがしっくりこなかったが、場面が変わるひとつの暗転のようなものは感じた。   女と竜が登場する。ここまでは、専ら神がイニシアチブをとって、ヨハネに関わってきたように見えたが、この竜が現れるとともに、神に対抗する勢力が立ち上がるような光景が目に付くようになる。必ずしも整然と、そこで起こる事件が展開するようには思えないが、次々と様々な出来

一粒の麦と永遠の命

その日は、妻の父親の誕生日であった。2年前に亡くなった方であるが、誕生日を忘れないように…

たかぱん
1年前

歴史的礼拝

2003年10月8日、日本のキリスト教会の説教は、ひとつのピリオドを打った。   主日礼拝に、説…

たかぱん
1年前

吊り橋と縄

黙示録の連続説教も第7章に入った。「大地の四隅に四人の天使が立って」おり、風が吹き付けて…

たかぱん
1年前
1

魂を揺さぶる語り

諸事情から1ヶ月ぶりのその講壇は、長かった。話したいことが溜まっていたかのようであった。…

たかぱん
1年前
4

幻の風景

教会の説教は、神の言葉であるべきだという。「私の語る言葉は神の言葉だ。礼拝後、とやかく言…

たかぱん
1年前

白い衣を着せられ生きている

ずいぶん前のことだが、牧師のことを「メッセンジャー」と呼ぶのは、あまり好きではないんです…

たかぱん
1年前

神の子をこそ礼拝して生きる日常

盛りだくさんの礼拝メッセージだった。ここにすべて再現するわけにはゆかない。黙示録のシリーズだが、七つの教会への手紙のうち、四つ目のティアティラ教会の天使に送るべきものになる。それは「キアスムス」と呼ばれる交差配列法の中央にあたる。ユダヤの祭具のひとつであるメノラーという燭台の形に由来すると言われるが、最重要な点を中央とし、左右に分かれて出る枝の如く、前後が対称形に対応しているものとする描写方法が一般的であるのだ。そうした説明も加えつつ、この手紙には何か重要な意味があるのではな