2000年にターフを駆け抜けた怪物
突然ですが私の趣味の一つ。競馬について語りたいと思います。
今は何かとモラルが求められる時代。賭け事というと敬遠される方も多いと思います。バブル期には全盛を誇ったパチンコ人口は減少の一途をたどり、生き残りに必死とのことです。私はパチンコをしませんので人ごとですが、だいぶ周りの人も止める方多いですね。
そんな中、順調に売り上げを伸ばしているのが、競馬、競輪、競艇など公営ギャンブルです。
理由の一つとして、ネット投票が盛んになったということもあると思います。ネットでは何百万ものお金が飛び交っていますから景気のいい話ですね。
皆さんは「ハルウララ」という地方高知競馬の競走馬をご存じでしょうか。
100回以上出走し、勝ち星ゼロ。前人未踏の記録を打ち立てたアイドルです。全国放送で取り上げられたこともあり、応援する人、グッズの発売、色んなことがありました。
一つ言えるのは今は何億も売り上げを伸ばす高知競馬は当時赤字続きで存亡の危機の状態でした。
そこに負け続ける馬がいるというキャッチはもの凄いフィーバーを起こしました。レジェンドジョッキー武豊も鞍上になるまでになりましたね。アメリカの放送局がハルウララブームについてドキュメンタリーも作成されました。
彼女は今、千葉県の牧場で余生を過ごしています。これは普通あり得ないんです。成績不良の馬は良くて乗馬クラブ、最悪加工肉です。
経済動物というのは厳しいのです。
さて序段は終わりましてターフの怪物の話に入ります。
私が成人して馬券を買えるようになったころ一頭のサラブレッドが競馬界を席巻しておりました。
テイエムオペラオー号という馬です。生涯鞍上を務めたのは和田竜二騎手
後に最強と呼ばれたこの馬は、ディープインパクトのように最初から強かったわけではありません。
初戦を勝ちきれず、怪我もあって三回目でやっと一勝。そこから才能の片鱗を見せ始め、三月のGⅢ毎日杯で漸く重賞を勝利。ここで初めて馬主がクラシック登録をします。牡馬クラシック初戦。皐月賞に滑り込みで入りました。
クラシック登録というのはただ該当レースに登録することでなくお金を払う必要があります。ですから、馬主、調教師が手応えをつかんだのでしょう。
三歳のクラシックは異次元の追い込みをかけて皐月賞を勝利。ですが、つづくダービー、菊花賞で惜敗。でも三着以内に入っています。
このときのダービー馬は鞍上武豊のアドマイヤベガ、菊花賞馬は鞍上渡辺のナリタトップロード。渡辺騎手は悲願のG1制覇でした。
クラシックを三頭で分け合いました。これがまた良いのです。ナリタトップロードはその後オペラオーのライバルとして幾度となく死闘を繰り広げます。
当時は四歳クラシック(現行では産まれるとゼロ歳、当時は当歳(一歳)と数えたので今は三歳クラシックと呼びます。
クラシックとは牝馬は桜花賞、オークス、秋華賞。牡馬は皐月賞、日本ダービー、菊花賞の三つを指します。三冠馬とは三つを征した馬のことです。
テイエムオペラオーは菊花賞の惜敗の後、ジャパンカップをスキップしてステイヤーズステークスへ。日本で一番長いレース3600メートルのレースを選択しました。
このレースは12月の初週、その後年末の有馬記念という強行スケジュールでした。ステイヤーズステークスはペインテドブラックと僅差の二着。才能の片鱗を見せましたが、有馬記念では最強の二頭。グラスワンダー、スペシャルウィークに阻まれ、三着。ローテーションを考えれば素晴らしい結果です。これが世代交代の始まりだったのです。
翌年、GⅡ京都記念で始動。
2000年のことです。私が二十歳になり馬券を買えるようになった歳でもあります。
これは二月のレースで十二月末の有馬記念の疲れもなんのその。
この馬の最大の長所、頑丈さがここで発揮されます。
京都記念を楽に勝利、続いては三月のGⅡ阪神大賞典。芝3000メートルのレースで春の天皇賞3200メートルのステップレースです。ここも楽な手応えで圧勝。後ろには産まれた時代を間違えてしまった名馬ラスカルスズカ、ナリタトップロードなどがいました。
この時、馬券で珍事が発生。
レースの買い方にワイドというのがあるのですが、オッズ1.0倍の元返しに。つまり賭けた金額がそのままただ戻ってくるという結果です。これは後の神馬ディープインパクトの菊花賞の単勝オッズと同じだったと記憶しています。
春の天皇賞では頭一つ抜け出たテイエムオペラオーの勝利。ここでもラスカルスズカ、ナリタトップロードの三強に割った入ったメイショウドトウで決着。
続いてはグランプリレース宝塚記念。グラスワンダーとの一騎打ちと思われましたが、テイエムオペラオーに猛追して二着にきたのは今度もメイショウドトウ。後に長い長い最大のライバルとなる馬です。
夏の放牧を終え、馬肥ゆる秋。
秋の初戦はGⅡ京都大賞典2400メートル。ひさびさのレースでも貫禄勝ち。またしても二着にはナリタトップロード。
そして、秋古馬三冠の一つ。秋の天皇賞へ。
このときの秋の天皇賞は一つのジンクスがありました。
それは一番人気は必ず負けるというもの。
ギャンブルが好きな人は験を担ぐ人が多いので、ここであえて買わなかった人もいたのでは?
実況アナウンサー「これはもう間違ない。一番人気のジンクスが崩れる!」
二馬身差の圧勝。
古馬二冠目ジャパンカップ。
このときのジャパンカップの最大の敵。
それは前年の欧州の年度代表馬「ファンタスティックライト」
ファンならご存じ。世界中の競馬場に名馬を送り込むモハメド殿下が管理するゴドルフィンの馬。春のUAEドバイシーマクラシックで日本馬ステイゴールドに負けたリベンジなのか参戦。
府中の最後の直線。直線の坂を上ってぐんぐん伸びてくるのはテイエムオペラオー。もう一頭、ファンタスティックライトの猛追をかわし、なんと二着に来たのはまたしてもメイショウドトウ。
世界的名手フランキーデットーリがオペラオーを評して「クレイジーストロング」と一言つぶやいたとか。
この年の最後のレースは年末を彩る秋古馬三冠の最後、有馬記念です。
スタート直後から不利を受け、最後方からスタート。
全馬がテイエムオペラオーを徹底マークするという異様なレース展開。
この露骨とも言えるマークでテイエムオペラオーの強さを印象づける結果になりました。
四コーナーを回って最後の直線。進路がとれずここでもテイエムは最後方。
アナウンサーの絶叫が飛ぶ「残り333メートルしかありません!」
コースを遮られた和田竜二騎手は馬を信じて一生懸命ぐいぐい押して押してテイエムオペラオーを馬群の真ん中に突っ込ませます。
残り二百メートル
「テイエムは来ないのか?テイエムは来ないのか?」
アナウンサーの悲痛ともとれる実況。
前がばらけたほんのわずかな隙間を見逃さず、馬群を真っ二つに割って伸びてくるテイエムオペラオー。
「テイエム来た!テイエム来た!テイエム来た!メイショウドトウと!テイエムだ!やっぱりテイエムだー!」
メイショウドトウとのハナ差。
僅差のハナ差でも内容が全く違います。
「ハナ差圧勝」という言葉が生まれました。
この年、テイエムオペラオーは
8 - 0 - 0 - 0
8戦全勝グランドスラム達成の瞬間でした。
ディープインパクトでも、遡ればシンザンでもなしえなかった記録です。
それ以来、私のヒーローになりました。
ピークを過ぎたテイエムオペラオーは翌年から勝ち負け繰り返すようなります。宝塚記念で「夢の一矢を報いた」メイショウドトウの勝利も素晴らしかった。そしてその年の最後の有馬記念まで完走し競争馬としての生涯を終えました。
秋の天皇賞では外ラチに向かって伸びたアグネスデジタル
ジャパンカップではダービー馬ジャングルポケット
有馬ではマンハッタンカフェ
次の世代へバトンをつないだのです。
負けると解っていても力尽きるまで走りきったテイエムオペラオー。
彼の残してくれたものは今も胸の内にあります。
了
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