人生ポケットにいるみたい
どこに向かうでもなく、明確な夢とか目標が今あるわけでもなく、何かが動くわけれもなく。そんな時間を今過ごしている。あれだけわーきゃー言っていた仕事が、様々な事情により落ち着いて、営業資料作りなんか出来ちゃっている。合法的に配信を休む口実も今は無いに等しい。
いつかの明け方には何故か、藤井風さんに楽曲提供をすることになり「そもそも藤井風ファンは御本人以外が作った楽曲を歌う藤井風に興味あるのか?」としきりに考えていた。もちろん夢だ。頭の片隅に疑問と不安を抱えながら、ポツリポツリとフレーズを考えていた。この歌詞は藤井風っぽいか、とか考えながら。そんなところで寝すぎて腰が痛くて目が覚める。そんなチャンスがやってきた時に、今の私ではなんやかんや手を挙げられないのだなと思った。頼まれてるからやっちゃおうくらいの図々しさがあればもっと叶う願いは増えるのかもしれない。
最近はよく夢の中で歌を作っていることが多い。現実での私の欲求なのか、とにかくそんなことが多い。長野に来てから歌は配信以外ではとんと歌ってはおらず「本当は歌が歌いたいんだ」とか言えばわかりやすく応援してくれるから、と無理矢理に気持ち作っていた(ということに気がついていた)が、私はそんなことがしたいわけでもなかった。もともと歌うのが気持ちいいし、私自身がいい気分になるから好きなのだ。歌を歌って得られる気分が好きなのだ。単純に。だから、披露してなんぼ、舞台にたってなんぼの価値観の前では私は萎縮してしまう。じっくりじっくり作り込んで、パッケージングするのが好みだ。で、それを自分で見て聞いてにやにやしていればいいのかもしれない。昔からそういう兆候はあった。ステージに立つということ自体はあまり得意ではない。そんなことを、コーヒーを飲みながら話した休日。
今は「人生のポケット」にいるみたいなのだ。よいしょ、という感じでテンションが上がりも下がりもせず、当たり前みたいに目の前に現れたポケットの中に入って体育座りを決め込んでいるような。
すごい人になりたいのだと思う。人間は。というか私は。何かすごいって言われる何かをしたかったのだと思う。そこを目指しているうちは生きていると感じられる気がしたから。でも今は体育座りをしていても「うむ、生きている」なんて思ってる。
これはとても…悪くない状態だと思う。