【前編】代表中釜のTATEKATA創業ストーリー
こんにちは、TATEKATA広報担当です。今回は、弊社代表の中釜にTATEKATAの創業ストーリーをインタビューしてきました!
2023年に住宅業界に新たな風を吹き込むべく誕生したTATEKATA。中釜がどんな想いでこの会社を立ち上げ、これまでにどんな挑戦を重ねてきたのか。創業のきっかけや苦労話、そして未来へのビジョンを語ってくれました。
内容が盛りだくさんなので、インタビューは前編・後編に分けてお届けします。リアルなエピソード満載のインタビュー、ぜひお楽しみください!
住宅営業に辿り着くまで―キャリアと家族を見つめた転機
—中釜さんのキャリアは営業職から始まっているのでしょうか。
実は大学を卒業した頃は、営業職に全く興味がなくて。正直「人に頭を下げてペコペコする仕事」っていうイメージが強かったので、できるだけ避けたい職種でした。当時はあまり深く考えずに過ごしていたので、やりたいことも特になくて。ただ、ちょうどその頃に流行っていたドラマ「カバチタレ」の影響で、行政書士が知的でかっこいい職業に見えたんですよね。それで学校卒業後は、行政書士事務所に就職しました。
ただ、厳しい職場だったので離職率が高くて、人の入れ替わりも激しかったです。そんな中で気づいたのが、中途採用で入ってくる人の中でも、特に仕事ができるのは営業職出身の人たちだということでした。たとえば、年下の人に教えられる場面でもしっかり敬意を払っている姿勢とかを見ていて、「営業職って思ってたよりも何か特別なものがあるんじゃないかな」って興味を持ち始めたんですよね。
—なるほど。そこから営業職への転職を考え始めたのでしょうか。
転職を考え始めたのは、行政書士事務所での仕事にやりがいを感じなくなったことがきっかけです。労働時間が長い割に給料が低くて、体育会系の企業文化も合わなかったんです。
また、家族の影響も大きかったです。母親から「20代の生き方が人生を変える」という本をもらったり、当時付き合っていた妻との将来を考えたときに、今の給料じゃ結婚は難しいかなと感じたり。そういう背景もあって、営業職で成果に応じて給料が上がる仕事を探すことにしました。
—その後は、すぐに住宅営業に転職されたのでしょうか。
それが、違うんです(笑)。当時、転職先に選んだのは大学や専門学校の学生募集をお手伝いする営業職でした。主な仕事は、大学や専門学校から広告費を集めて、高校に進学情報誌やガイダンスの提案を行うというものです。今振り返ると、教育機関と学生をつなげるその仕事は、今やっている住宅相談サービスと似ている部分があるかもしれません。
営業職は自分に合っていたようで、すぐに成果が出て給料もどんどん上がっていきました。ただ、7年間続けたのですが、次第にマンネリを感じ始めてしまって。それに「もっと営業職として成長したい、さらに高みを目指したい」って思うようになったんです。
ちょうどその頃、30歳手前で、妻が2人目の子供を妊娠していたこともあって、もっと年収を上げたいと思うようになりました。それで、年収1000万円を目指すなら、保険か住宅営業が有力だと考えていたんです。特に住宅営業に興味を持ったのは、妻からのアドバイスがあったからです。
「住宅営業は、家を建てるという人の幸せな瞬間に立ち会い、その人たちをサポートできる仕事だから、明るい性格のあなたに合っているんじゃないか」って。また、住宅営業はプル型の営業で、お客様が自ら来るスタイルが自分に合っていると思い、住宅営業に絞って転職活動を始めました。
そして、1社目の面接で出会ったハウスメーカーの社長にすごく気に入られて、すぐにその会社に決めました。結果的に、その会社との出会いが、僕の人生を大きく変えてくれることになりました。
入社2年で年収1000万円!住宅営業の世界での成功体験とその先に見据えたもの
—実際に住宅営業の世界に飛び込んでみて、いかがでしたか。
最初からびっくりするほど結果が出て、評価もされました。社長も僕の成果をしっかりと見てくれて、1年後には課長、その翌年には営業部長にまで昇進しました。
それに伴って給料もどんどん上がって、入社からわずか2年で年収1000万円を超えましたね。本当に猛スピードで出世して、それに比例して収入も伸びていきました。3年目、4年目には、今度は自分だけじゃなくて部下たちを稼がせる立場として、会社全体の利益を考えるようになりました。
その中で、マネジメントの重要性も強く感じました。自分一人で結果を出すだけじゃなく、どうやってチーム全体の利益を上げるかを考えるようになったんです。おそらくそのあたりが評価されて、「中釜さんしかいない」と、社長にも言ってもらえるようになりました。そうやって言われたら、男としてその期待に答えないわけにいかないじゃないですか!それで「よし、やるぞ!」と思えて、結果も出せたんです。その1つ1つが自信になっていきましたね。
自分を必要とする人のために。期待に応え続けた営業人生
—中釜さんがそれだけの結果を出すことができた理由を、ご自身でどのように分析されていますか。
いろいろあるんですけど、やっぱり「期待されていることに対して結果を出したい」という強い気持ちがあったからだと思います。実は、僕ってそんなに人付き合いが得意なタイプじゃなくて、友達がたくさん欲しいとかそういう感じでもないんです。ただ、自分を必要としてくれる人に対しては全力で役に立ちたいっていう思いが強くて。
保険の営業だと、お客さんがまだ気づいていない部分に必要性を訴える必要があるんですが、住宅営業は違います。お客さん自身が「家を買いたい」と思って訪れてくれるわけです。僕は、プッシュ型営業じゃなくて、プル型営業が性に合っていたんだと思います。それに、家って一生に一度の大きな買い物じゃないですか。そこに強い責任感を感じていたんです。
昔から責任感があるタイプで、おせっかいというか、人から相談されたらなんとか答えてあげたいと思う性分なんですよね。だから、時間を惜しまずにお客様の期待に応えたいっていう気持ちで動いてました。それがお客様にも伝わって、「中釜さんにプランを作ってほしい」と指名されることも多くなり、本当にお客さんの行列ができるくらいでした。でも、その期待に応えるためには、毎日夜12時まで働くのが当たり前、休みを取らないのも普通になりましたね。
その働き方が、いつの間にか自分のストレス耐性を鍛えてくれたんです。休みを取れなくても全然気にしないし、夜7時になったら「よし、ここからもうひと踏ん張り!」って気持ちになってました(笑)。
頑張れば頑張るほど結果が出る、その結果が給与にも役職にも反映される、そしてお客様からも感謝される。そういった循環がしっかりできていたんです。それがやりがいになって、成長につながりましたね。
社内トップの座を捨てた理由。中釜が追い求めた本当の幸せ
—華やかな結果を残されていた中釜さんですが、なぜ独立を決意したのでしょうか。
正直、もう行くところがなくなっちゃったんですよね。年収もある程度まで行きましたし、これ以上はないだろうって思ったんです。もちろん、メガバンクの部長とかそんなレベルにはさすがにいけないかもしれないですけど、普通のサラリーマンとしては十分すぎるくらい稼いでたんですよ。
次に考えたのが、「じゃあ社長になるか?」ってことなんですけど、社長は超えられないですよ。それに、感謝してましたから。社長のおかげで今の自分があるっていうのも分かってましたし。会社も急成長してたんですよ。僕が入社してからずっと右肩上がりでしたからね。
ただ、そんな急成長してる中で、社員もどんどん増えていって、最初は40〜50人だったのが、一気に100人、200人ってなって、もう社員の指導も現場の指導も追いつかない状況になってました。
僕自身も「こうしたほうがいいんじゃないか」「こういう戦略を取るべきだ」っていう意見を持ち始めたんですけど、営業のトップが社長に反対するわけにいかないわけで。結局は社長の意見を尊重し遂行する。それが管理職の役割だと思ってましたから。
でも、その中でだんだんと「もしかしたら自分が会社の成長を邪魔してるんじゃないか?」って感じるようになってきたんです。僕が反対意見を出すと、それに同調する部下も出てきてしまって。社長の意向に反するようなことを言って、会社全体の士気が下がってしまうのは避けたかったんです。
—収入の限界まで達成したことや、社内でのご自身の影響力の大きさ、方向性の違いなどが独立を考える原因としてあったんですね。
そうですね。何よりも、多くのお客様と対峙していく中で、「これが本当にお客様のためになってるのか?」って疑問が出てきたことが大きかったです。最後のころ僕自身の成約率は90%近くあって、自分で商談すればほとんどの契約は決まってました。でも、それが本当にお客様のためになってるかどうかは分からない。
結局、会社の利益を追求することとお客様の満足度を両立させることが難しくなってきて。効率を求めるようになる中で、着工のスケジュールを守るために、お客様の希望を叶えられないことも増えてきました。たとえば、着工を2ヶ月延ばさないために、お客様の質問やご要望には、答えたり提案しない方がいい、そんなふうに考えるようになっていったんです。
同時に「自分がやりたいことは本当にこれなのか?」って思うようになりました。僕が本当にやりたかったのは、お客様に感謝されて、「中釜さんに任せてよかった」って言ってもらえる家作りでした。でも、現実は仕事が多すぎて、引き渡しのときも少し顔を出して終わり。そんな状況では感動も何もないです。ただただ、数をこなすしかなかったんです。
他にも、30代をずっと仕事に捧げてきたこともあって、やがて「自分の幸せとは何なのか?」と考えるようになりました。もちろん仕事にはやりがいがありましたし、評価もされていたけど、子どもたちの成長にはほとんど関われなかった。それで、「自分の人生の目的って何だろう?」って思うようになったんです。
僕自身は、物欲もそんなにないですし、家族も何か特別なものが欲しいなんて言わないし、近所の公園で子どもたちと遊んでるだけで十分幸せなんです。そんなふうに感じるようになったとき、「もう十分稼いだし、1回きりの人生なんだから、やりたいことに思い切り挑戦してみよう」と思って、独立を決めました。
いかがでしたでしょうか。インタビューの前編はここまでです。
中釜が歩んできたキャリアの道筋や、トップ営業マンとしての成功の裏に隠された思いが垣間見える内容だったかと思います。
後編では、いよいよ中釜がTATEKATAを立ち上げるまでの迷いや決断、そして創業当初の苦悩と奮闘のエピソードをお届けします。また、今後のTATEKATAのビジョンや未来についても迫ります。ぜひ次回もお楽しみに!
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