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瀬戸内寂聴さんに会ってきました。

ずっと、瀬戸内寂聴先生に興味がありました。
寂庵(京都嵯峨野にあった寂聴先生の本拠地)であった法話に何度か申し込みをしたのですが、当選せず、お亡くなりになってしまいました。
 私が寂聴さん好きやねんと知った友達が、チケットを送ってくれました。10月末までだったので、夫と行こうと思ったのですが、予定が合わず1人で行ってきました。
結果は1人で行って大正解。それは、1人で行った方が感慨にふけることが出来るからです。
 チケットをくれた友達とは別の人にですが、以前に「私、瀬戸内寂聴さんみたいになりたいねん」と話したことがあるのです。するとその人は「なら恋多き女性になってもっと人生経験を積まないとあかんね」と言われたことがあります。その時は私の憧れている部分のことが分かってもらえていないなぁ~とちょっとムッとしたのですが、今回、追悼瀬戸内寂聴展に行って、寂聴さんのことをより知ることが出来た今は、なりたいねんなんて軽々しくいってはいけないなぁと思っています。

 私が憧れていたのは、自由奔放な寂聴先生のスキャンダラスな部分ではなく、ご自分に正直に生きられ、どんな困難もご自身の手で切り開かれ、生きてこられたことにあります。また色々な経験をされた後に仏門に入られ、お話で人を元気にされていることに憧れがあります。   
 そして、晩年には若草プロジェクトという若者、特に女性を支援することに協力されていたことも凄いと憧れている所以です。                 
 歳を重ねてきて感じている私感ですが、年長者は若者に、「色々あっても歳を重ねても良いことあるよ~って笑顔でいようね~」と伝えることが使命ではないかと思っています。そんな気持ちもあっての憧れなのだと思います。

90歳を超えて着手されたのが、源氏物語の現代語訳でした。それを完成出版までこぎつける為にご本人が作られた「心得6箇条」
▼今はほかの仕事を引き受けない
▼つつましい生活をする 
▼これが最後の仕事と思う などなど・・・

後に1つも守れていないとお話されていました。 
収入は・・・何とかなる とも書いておられました。  
失礼ですが、俗っぽくてこのチャーミングなところも魅力ですよね~
 
哲学者の梅原猛先生が寂庵のことを「桃源郷はここ」と書かれていました。わたしも桃源郷をつく りたいと思います。
 


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