【ミニマリスト】「チートミニマリスト」と呼ばれてもいい 近居のすすめ
そういえば。
自称「ミニマリスト」ですが、私の大前提をこのnoteで書いたことなかったかもしれないと思って、注釈の意味でも記録しておこうと思うことがあります。
そうです、私はある意味「チート(ずるをした)ミニマリスト」、なのです。
こんな表現があるのか知りませんが。
なんとなくミニマリストというのは自助努力の塊、のような印象があるのですが、少なくとも私はその意味で正統派ではないのかもしれません。
これを「チート」ととるかどうかは、それぞれ考え方次第です。
それでも、もしこの生き方を応用できる方には、何かヒントになるかもしれません。
両親との近居
我が家は、義父母(妻の両親)の自宅の目と鼻の先にあります。
いわゆる「近居」という生活スタイルです。
両親と同じ住まいに住む「同居」ではなく、住居は別だけどお互い近くに住む「近居」。
近年好んでこういった住み方を選ぶ家族が増えているそうですね。
私たちの場合、もともと妻の実家のロケーションが大好きなのと、偶然その近くに条件のあう土地が空き、「もう絶対にここしかない!!」と、あれよあれよとそこに自宅を建てたのです。
そうそう、我が家がミニマリスト界隈では非常識な「注文住宅の戸建て」、ということも改めて前提としておかねばなりません。
つまり、賃貸のように身軽に住み替えることはできない身にあるのです。
これはじゅうぶん承知したうえでの選択なので、住んでしばらく経ちますが今でもいっさい後悔も不安もありません。
不要なモノを手放し「最高の住まい」に全振りした結果という、私にとってはごく自然な流れだったようにも思えます。
実際、生活の満足度はものすごく高くて、毎日すぐにでも自宅に帰りたいと思っています。できれば、今の自宅を終の棲家としたいなと。
そんな自宅と義父母との近居。お互いにバランスをとりながら、うまくいっています。
妻がいない時にも、たまに義父母とゆっくりお茶したりして仲良しなのです。
スープの冷めない距離
文字通り、「スープの冷めない距離」に住んでいる私たちと義父母。
その距離を最大限いかして生活している、つもりですが実際はこちら側が助けてもらうことがほぼ9割の状態。
車社会の地方にありつつ、マイカーが一台でいられるのも、義父母が車を手配してくれることがあるからこそです。
そのタイヤを保管してくれているのも向こう側の倉庫。
何か自宅で足りないものがあれば、ちょっと借りて済むことも多いです。
日常生活でめったに使わないけど、まれに使うモノ。そういったモノは必要に応じて借りる前提でいるので、あえて我が家には置きません。
近居し初めは「いちいちお父さんお母さんに借りるのも申し訳ないな。。」と思っていましたが、逆に義父母が私たちのミニマルな生活を絶賛してくださるのもあって、今ではこのスタイルが定着しています。
義父母から、何かあれば貸してあげるよ、と快く言っていただけるのは本当にありがたいです。
文字通り「スープの冷めない距離」でスープをいただくこともあります。
そんな時は「おぉ、本当にスープが冷めない」、と妙にうれしくなるのです。
いつかその日がくるまで
このように、必要なモノを近居している両親に借りつつ生活をしているからこそ成立する、我が家のミニマリズム。
これは人によっては「チート」だと感じるかもしれません。必要なモノがあれば、近くにいる家族から簡単に借りることができる環境、ということですから。
そうなんです。モノがなくても生活できるのは、義父母のご協力のおかげなのです。
ところが、この生活が未来永劫続くことはありえません。
心配をしてもしなくても、今後私たちが義父母をサポートする側に回る日が、必ず来ます。
今はなんでも自分たちでテキパキこなしますが、これから車を運転できなくなる日も来ますし、体調を崩すことも出てくることでしょう。
その時、私たちにできることはなんだろう?
いつかその日が来たら、フットワーク軽く、快く恩返しができるように、せめて自宅をミニマルにしておきたい、と思うのです。
きっとそうしていることで、この先の人生で増えるであろう様々な悩みや不安を冷静にとらえ、大事なことにフォーカスすることができるかもしれない、そう思っています。
春と秋、車のタイヤ交換の季節。タイヤを預かってもらっている義父といっしょにタイヤ交換をして、終わったら義母も交えてゆっくりお茶するのが半年に一度の楽しみになっています。
できればまだまだ一緒にこんな時間を過ごしたいなと思うのですが、こればかりはわかりません。
だからこそ、今を大切に、明日も大切に生きていきたい。。考えるとちょっと寂しい。
って、最近こんなことばかり考えてますね。
あれ?なんの話だっけ。
そうそう、近居している自称ミニマリストなので、別にチートと呼ばれてもいいですよ、ということ。
家族なかよく楽しく暮らしているので、問題なし!
おしまい≡⊂( ^-^)⊃♫