許可なく人の記事を紹介するのってあり? なし?
今日はなんとなく更新したい気分なので、最近思っていることでも書きます。基本はタイトルの通り。
先日、↓のような記事を書きました。
内容は「オモコロ杯」というWeb記事の公募に出馬してみたよ、というもの。それだけでなく、「皆も応募してそのことを表明しようぜ!!」と大衆煽動までしています。これ書いたときは、出したこと表明している人がマジで少なくて寂しかったので….. 今となってはみんな普通に表明しているので、わざわざしゃしゃらなくてもよかったなと、なんか恥ずかしいです。
で、この記事でわたくし、次のようなことを書きました。
で、こんなことを言ったからには、ちゃんと責任を取らなきゃなと思い、noteとTwitterで「オモコロ杯」と検索し、見つけられた限りのオモコロ杯応募記事を読んできました(どんだけ暇なんだ??)。もちろん全部「読んだ」わけではなくて、ざっくり「目を通した」ぐらいの記事もあるけれど(そっちの方が大半)。これをキッチリ読んでる編集部、普通に地獄なのではと思います。マジで。
で、ここからが本題。
応募記事、たくさん読んでいれば「これめちゃくちゃ好きだな」というのにも出会います。これめちゃくちゃ良いのに、あんまり評価されてないなーというのとか。で、そういうのを、こういう場で勝手に紹介するのってどうなんだろう? ということです。「勝手に」というのは投稿者に連絡を取ることなく、独断で紹介をするということですね。
これ、「別にいんじゃね」と思う人もいれば、「いややっぱ投稿者の許諾は必要でしょ」と思う人もいるはず。僕の心の中にも両方の気持ちがあります。そして日夜戦っている。終わりなきラグナロク……
どちらにもそれなりに筋の通った言い分はあって、ちょっと一筋縄ではいかないなと思っています。ので、今日は「必要派」「不要派」に分かれさせ、ディスカッションさせてみました。僕の脳内での論争にお付き合いいただければ幸いです。
Web記事の紹介、本人の許可必要?
前提:目的は記事の「紹介」にあり、晒し上げたり批判を加えたりすることではなし。かつ、僕のnoteのフォロワーは少なく、ここで取り上げてもそこまで大きな影響はないと思うが、でもネットの拡散範囲はコントロールが不可能なので、確かなことは言い難い。
それではそれぞれの言い分を見ていきましょう。
本人の許可必要派①
当然のことながら、人様の記事を紹介する以上、当人の許可は必要だろう。逆になぜ必要ないと考えるのかがわからない。
他人のブログ等でシェアされることを、快く思わない人もいるはず。やはり一度確認を取っておくべし。
本人の許可不要派①
ネットの記事が許可なくシェアされることは、ある種当たり前のことである。あなたはTwitterでリツイートをするときも「リツイートしていいですか」と確認を取るのか?
紹介するのにいちいち許可が必要というのは、逆にシェアのハードルが高くなりすぎて現実的ではない。そもそもネットに公開している以上、「誰に読まれても問題のない」ものであるべき。
許可必要派②
今回問題になっているのは、単なるツイートやWeb記事ではなく、オモコロ杯という公募への応募作である。これが初めてのブログ投稿という人もそれなりにいる。だとしたら、「拡散」的なことには慎重になるべきでは?
Web記事と言っても「個人ブログ」的な要素の強いものは多い。それをある種人目に付く場所に持ってこようとしている以上、書き手からの承諾は必要だろう。
反対派の理屈で言えば、このnoteが突然フォロワー3万人のインフルエンサーに拡散されても、文句は言えないということになる。例えば、某元2ちゃんねる管理人に急にTwitterで叩かれても、何一つ抗議はできないだろう。
が、当然そういうのは怖い。それを我々は誰しも知っている。ので、確認があった方がよいということには異論の余地が無いだろう。
許可不要派②
確かに、インフルエンサーに突然晒されるのは、怖い。が、それはあくまで「インフルエンサーが」人の記事をシェアするときの問題性であって、そっちを基準にするのは間違っている。一般の人にはそこまでの影響力は無い(僕のnoteのフォロワーは49人だし…….)
また、個人ブログといえど、オモコロ杯は「Web記事の」公募である。そうである以上、やはり「ネットで公開されている記事」であることに変わりはない。
そして繰り返しになるが、ネットの記事が無断で拡散されることは、もはや宿命である。ここにいちいち許可が必要となれば、色々大変なことになる。「個人ブログ」的なものであっても、よほど数の暴力で滅多打ちにする意図などが無い限り、拡散は無断でされて然るべき。
必要派③
先ほどから「無断拡散は宿命」ということをのたまっているが、それは単に「現状がそう」という事実の指摘に過ぎず、「今後も無断で拡散されるべきだ」という規範的な議論には無関係である。現状がどうであれ、それより望ましい方向があるのなら、我々はそちらを目指すべきだ。
そして、「紹介される前に事前の確認があった方がよい」ということには、多くの人が納得するだろう。それこそが「より望ましい方向」である。noteではコメントなどもできるのだから、怠けずに相手方に確認を取るべきだ。
その方が「よりよいインターネットの世界を作れる」というのが、我々の言いたいことの全てである。
不要派③
「理想の世界」を提示されていたが、記事のシェアにいちいち確認が必要というのは、私にとってはむしろディストピアである。インターネットの自由さがそこには全くない。
相手方に確認を取るのは、結構コミュ力のいる行いである。むしろそっちの世界の方が窮屈ではないか?
もちろん、「個人的に応募した記事だから、そんなに晒されたくない」という気持ちは理解できる。ただ、やっぱりWeb記事として世に出している以上、誰に拡散されるかわからないという代償も受け入れるべきではないか(つまり覚悟が足りない)。
とはいえ何も、我々はシェアによってその記事を貶めたいわけではない。むしろ、多くの人にその良さを知ってもらいたいのである。
もちろん、それを「余計なお世話」と言うこともできるが、ただ多くの人に読まれることは、味わってみると存外悪くないですよ。
終了!!!
↑ぜひご回答ください
【追記】5/14 23:00
思ったよりご回答いただけました….. ありがとうございます。
一応、簡単に結果を載せておきたいと思います(随時更新します)。
許可不要派:83.3%(5票)
必要派:0%
場合による派:16.7%(1票)
[自由記述]
悪態をつかなければ自由に貼って良い派
紹介されると嬉しいので良いと思う
[好きなお寿司のネタ]
炙り太刀魚、えんがわ、たい派、いくら、生エビ
終わりに
割とテキトーに書いたところもありますが、いかがだったでしょうか。
このnoteで言いたかったことは2つあります。1つ目は、某公募への応募作、個人的にめっっちゃ好きな作品がいくつかあるから、ぜひここで紹介してみたいということ。結構な数読んだけど、だいたいドツボだったのが8つぐらいあります。逆に言うと、50~80記事ぐらいは見ているはずなので、割と厳選されている方かも。
もうひとつは、やっぱり他人の記事を勝手に紹介することには抵抗もあるなーーということ。でもいちいち許可取れるほどコミュ力があるわけでもなし。それにリツイートとかは普段無断でしているわけだし、、、 どうなんでしょうね? 悩みどころです。
何か思うところがあれば↑のGoogleフォームに書いてもらえれば幸いです。ちなみに僕が「よい」と思ってる記事は、僕のアカウントの「スキ」欄からある程度は辿れると思います。noteでの投稿限定にはなるけど。よっぽど暇な人はチェック!!
今日はそんな感じ。あと僕に関しては記事のシェアとかは無断でやってもらって大丈夫です!! 耐えてみせます。