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vs夜泣き|社畜より寝ない子とこち亀より終わらない夜と登場しない夫

息子は寝ない子でした。
3歳半を迎えた現在は、7時半~5時半までの10時間程度、おおむねぐっすり眠れる子に成長しましたが、息子が生まれてからとくに2歳を過ぎるころまで、私は地獄のような夜泣きに毎夜悩まされることになります。

夜泣きは、おおよそ2時間に1回発生しました。ビエーッと泣いて、抱っこで15分ほどゆらゆらすると鎮まりはじめますが、そこから布団に寝かすまでに1時間はかかります。つまり、夜泣きスタートから少なくとも1時間15分が経過してやっと、私も横になれるのです。
が、息子の夜泣きは2時間ごとに発生しますから、次のターンまで私に残された時間は45分もありません。5秒で眠りにおちたとて、1時間も続けて眠れることはないのです、絶対に。

これが毎晩、年中無休です。

独身時代には、いわゆる社畜なんかも経験したことがありますが、それでも毎日2時間は眠れていました。たまの休みには存分に惰眠をむさぼり尽くせましたから、夜泣きといったら社畜も逃げ出す過酷さでした。

やっと布団で眠りについてくれた赤ちゃんの隣、今のうちに眠らなければ、早く寝なきゃ、今寝ないとさすがに死んじゃう、とわかっているのに、私の目はギンギラギンに冴えわたっていました。
もう間もなく始まる次の夜泣きが、怖くてたまらなかったのです。

また抱っこしなきゃ。腕も膝も痛くてたまらないのに。もう泣き声なんて聞きたくないな。耳栓して知らんぷりしてしまいたいけど、息子の泣き声はサイレンみたいに大きくて、泣かせ続けたら近隣の迷惑になってしまうし、私も耐えられないし、別室で眠る夫を起こしてしまったらチクチク言われるのもダルいし……でももう休みたい。休まなきゃ死んじゃう。死んだら休める。死んで眠りたい。

クローゼットには、用意がしてありました。
ほんとのほんとに無理になったら、死んで休もう。それは絶望でも、救いでもありました。

このころ、昼の記憶がほとんどありません。
息子は昼のあいだも小刻みにしか眠れない子でした。お昼寝は長くて30分。抱っこでゆらゆらしているときが最もよく眠れていたので、抱っこ紐で近所を延々と歩き回っていた覚えはあります。
ときどき支援センターに立ち寄って、息子を抱っこ紐から降ろしてみると、人見知りと場所見知りが発動し、警報級の泣き声がこだまするので、平和に遊んでいたほかの赤ちゃんまで泣かせてしまい、慌てて逃げ帰ることも多々ありました。

あとはよくわかりません。ハーフバースデーとか、初めてのクリスマスとか、1歳の誕生日とか、嬉しいイベントがたくさんあったはずですが、どれもあまり記憶に残っていません。
お祝いの準備とか、義理の家族を招待するための日程調整とか部屋や食事の用意とか、なんかめっちゃ大変な目にあったような気はします。
写真を見返すと、小さな息子が親せきや友人らに囲まれて楽しそうにしている隅っこで、亡霊のように佇んでいる私がいます。たぶん、ほとんど気絶していたのだと思います。

寝ない息子と、窓の外の真っ暗闇がすみれ色に明けていくのを眺めながら、あるいは夏の炎天下、抱っこ紐のなかで汗だくになって眠る息子を起こさぬよう、行く当てもなくトボトボと歩きながら、またあるいはビービー泣き叫ぶ声から逃げ出して、クローゼットでうずくまり、耳を塞ぎながら、「いつか終わる」と唱えていました。

夜泣きには必ず終わりがくる。毎晩2時間に1回泣く大人はいないのだから。
生後3ヶ月ごろからねんねが上手になると聞いたのは、噓だったけど。
離乳食が始まったら寝る!
夜間断乳できたら寝る!
歩き出したら疲れて寝る!
卒乳したら寝る!
などなど、ぜんぶぜんぶぜーーーーーーんぶ嘘だったけど、だけど必ず終わりは来る。
始まったものは必ず終わる。
必死こいて追いかけていたバンドは軒並み解散・活休したし、あのSMAPさんだって解散したし、こち亀も終わったんだから!
必ず!終わりは!!来る!!!

そんなことをブツクサ唱えて己を鼓舞したり、ああもうやっぱ無理死ぬわ死んで終わらすわと発狂したりの日々は、2年以上続くのでした。

ずっと夜のなかに閉じ込められていた気がします。
まぶしいところの出来事は、やっぱりよく覚えていません。思い出せるのは、真っ暗闇にギラギラ光る涙目とか、抱っこする腕の痺れとか、そのときワイヤレスイヤホンで聞いてたオールナイトニッポンに錦鯉が出ていたこととか。

夜泣きの終わりは、夜が明けるように、じんわりとやって来ました。このあたりの記憶も極めて曖昧ですが、夜泣きの間隔が少しずつ空いてきて、抱っこする時間が短くなって……気付けば静かで穏やかな朝がありました。

幼稚園の年少さんになった息子は、夜に一生けんめい眠ります。明るくなるとパチっと目覚め、(朝の5時半に)あそぼ♪と私を叩き起こします。
赤ちゃんのころにはひどかった人見知り・場所見知りも、不便がない程度には解消し、まぶしい外の世界へ飛び出しお友だちと遊ぶ姿は、なんだかとっても健やかで、正しくて、頼もしくさえあります。

だけど私は、今もあの夜に取り残されているような心地でいます。

「いつか夜泣きが終わったら楽しもう」と半ば願うように買いだめていた小説やゲームも、録画しておいたドラマも、手つかずのまま眠っています。どれもこれも好きなものだという事実は覚えているのに、好きという気持ちを忘れてしまったようです。
あんなに渇望していた睡眠も、さあどうぞご自由にとなったら上手にできなくなってしまいました。
泣き声が聞こえたような気がして、飛び起きます。
私の夜が明けないのです。


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