31通目 森鴎外旧居その1
その日は寒い晴れの日だった。十一月二十日。
わたしは小倉にいる頃、気にしながらも一度も森鷗外旧居に行ったことがなく通り過ぎてばかりいたから、今度小倉に行ったら必ず行こうと出発時に決心していました。
小倉駅から小走りに走って思い出を走り抜けるみたいに知っている公園のトイレが新しく綺麗になっている!のも通り過ぎて、真昼の、人がいないちょっと殺伐とした鍛冶町に来ました。(追記。鍛冶町は、わたしの殺伐とした時代の象徴です)
旧居の門は開いていて、係の人が箒を持ったまま、自転車の男性と話をしていました。
庭は綺麗に手入れしてあって、わたしは緊張しながら「お邪魔します」と言って門をくぐって、玄関前の石畳を一つ踏みました。(四角くて真面目な上品な石畳です。)
もう一つ、もう一つ、と踏んで、いざお邪魔する段になって迷いました。
(追記。玄関から堂々とお邪魔するか、通り土間からいそいそとお邪魔するか。)
玄関は腰掛けて靴を脱ぐようになっているけれど、何故か申し訳なく思って通り土間から入ってうろうろしました。
下女の資質でもあるようです。
↑森鷗外旧居の通り土間入り口
そのまま台所へ行って、釜の蓋を取ってみると、本当にただ、釜のある台所でした。
台所の向こうは風呂場で、小さな木の戸です。(その向こうはお手洗い。その向こうは馬のいたところです。)
台所と風呂場に背中を向けて歩くと勝手口を抜けて裏庭に出ます。
何か修理中のしましまコーンが置いてあって現代に引き戻されながら、裏庭から家を眺めると、座りたくなる縁側(訂正。たぶん廊下)がありました。
鷗外先生のおそらく寝床か将棋を指したり本を読んだり考え込んだりしそうな部屋の隣です。
縁側(これも訂正。たぶん廊下)の内側の部屋の戸のガラスには、富士山らしき山が彫ってありました。
続く。 草々
二千二十一年十一月三十日
森鷗外旧居のこと
難しいです……。