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GR3で撮る、ということ。

GR3を購入してから、早1年半。毎日持ち出して撮る時期もあれば、全く持ち出さずに撮らない時期もあったが、何となく”撮る”ことについてわかった気がする。



もしもの時(LINEじゃなくInstagramで連絡先交換する時)のために、Instagramのアカウントを作成しているが、インスタで写真を見たり投稿することは一切していない。

X(Twitter)も同様で、たまに仕事で送られてくる参考イメージがXの投稿の時があるので、その時用だけにアカウントを作成しているが、今はほとんど見ていないし投稿していない。

このnoteでも、たまに写真を投稿する時もあるが、noteでも写真単体記事はあげていない(そもそも記事の投稿数が少ない)。

でも、GR3で写真は撮り続けている。


SNSで投稿するわけでもなく、写真の個展を開くわけでもないし、知人や友人に見せるわけでもない。

ただ、写真を”撮っている”のである。

私は、撮った写真ではなく、撮る行為自体の方が価値があると思っている。


カメラの世界は、物凄く限られている。

1/100、1/200といったシャッタースピードで時間的に切り取り、さらにフレームで空間的にも一部を切り取る。

カメラを持ち歩くと、そういったカメラの理が、日常にフィルターのようにかぶさる。

違った時間感覚、空間感覚によって、当たり前だと思っていた世界が別世界のように感じる。そして、感じとった別世界を写真として残すことができる。

それがカメラと写真の本来の魅力なのだと思う。


でも、カメラは物体であり、身体とは別の存在。持ち運ばなければいけない。

それが、一眼カメラといった、レンズがあり両手サイズのボディのカメラの場合、持ち出すのに少し抵抗がある。

さらに、カメラを持ち出したはいいものの、カメラを構えて撮るという行為に対する周りからの視線が向けられることに怯えて、撮りたいのに撮れないことにもなる。

普段カメラを持ち出して写真を撮らない人、スマホですら写真を撮らない人からしたら、”撮る”ことはかなりのハードルが高く、カメラの魅力に気付かないまま人生を終えてしまう可能性がある。


その、”撮る”ことのハードルを最小限にしてくれるカメラこそ、GR3なのだと思う。

片手に構えられて、ポケットに入る小さな筐体。それでいて、起動しシャッターが閉じるまでが最短。

スナップに特化されたGRは、”撮る”ことの魅力を手軽に体験することができるカメラなのである。

実際、私自身GR3によって世界の見方、日常の見方が大きく変わった。

ポケットに入れて持ち歩き、ふと心が揺れた光景に出会ったら、パッと取り出してパッと撮る。最短、最小で撮ることができるので、周りの目線を気にする暇もない。

そうやって撮れた写真を見返すと、自分の世界が見えてくる。

撮れた写真が綺麗かどうかなんてそこまで重要じゃない。カメラを持ち、撮り、そして見返す。そこにカメラの本質があるのだと思う。

撮ることが当たり前となり、自然と持ち出し自然と撮れるようになったら、その時に構図とか何をどう撮るかを考えていけばいいと思う。



GR3で撮る。ただそれだけでも、十分すぎるほど人生が豊かになる気がする。


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多々田たた
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