聞こえないことを謝るのはなぜ?――ペコペコする母を見てモヤモヤしてるソーダの話
これは昔からなのだが、ウチの母は聞こえない妹のことについて周囲に過剰に謝ったり感謝したりする。そして迷惑をかけないように家族が伝達や代行するのが当然だと思っている。すでにアラフィフで社会人として自立した妹のことなのに、過保護を超えてほとんど卑屈と言ってもいい態度なのだ。
ペコペコの事例
例えば…
● 銀行などの手続きに同席して謝る
「ごめんなさい。この子 (=妹) は耳が悪いのでこっち (=私) に説明させます。ご迷惑おかけします」
● 病院の待合室や外食先で周囲に謝る
聞き慣れないデフヴォイスに反応してチラ見されただけなのに謝る(そもそも声を出してたのは手話のできない母のためなのに)
● 夜間に電話リレーサービスを利用するのは係の人に申し訳ないと遠慮する
「緊急連絡で深夜に使うようなことになったら迷惑だから、あんた (=私) がちゃんと電話に出なさい」
● 外食先でメニュー指差しで注文したことにお礼とお詫びを言う
「こちら (=私) の気が利かなくて (=代行しなくて) ごめんなさいね、注文わかりました?申し訳ないです」
いったいなぜだろう?
時代・親心・昔語り
母が難聴児子育てをした約50年前と比べれば、障害に対する周囲の理解も態度もかなり変化した。当時は障害の原因をあれこれ詮索されたり、ツン◯などあからさまな差別用語を浴びせられたりもしたから、先回りして謝っておくのは関係を円滑にする一種の処世術だったのだろう…とは思う。
もちろん妹を心配する親心であることは間違いない。障害がある子だからこそいつまで経っても心配が尽きないのだろう。後期高齢者になった母と私の間は年齢を経て「心配する ⇔ される関係」が自然に逆転したが、母と妹の関係は(少なくとも母の目線では)昔のままだ。
イジワルな見方をすると、低姿勢で健気に振る舞うことで、母自身が周囲から同情や称賛を得られるのも事実だ。実際に「大変ですねぇ」「ご苦労なさったでしょ」みたいな会話が続いて、妹そっちのけで盛り上がることもある。80代の母にとって難聴児子育ての苦労はすでに懐かしい昔話であり、過去の勲章なのだ。
モヤモヤの理由
社会的な側面で言うと、妹が成人してろう学校や保護者団体との縁が薄くなったことで、高齢の母には障害を巡る意識変化やろう・難聴当事者の活動について知る機会が無くなったのかも。だから母の障害児者に対するマインドは昭和からアップデートされないまま現在に至っている。
妹の代わりに謝ってしまうことで本人が直接対応する機会を奪い(=第三者返答)、社会の中で「弱きもの・異質なもの・遠慮して生きるべき存在」にしていることに気づいていない。それが権利や合理的配慮に対する理解を妨げ、間接的に妹の生きづらさにつながるなんて想像もしていない。
「そんなに謝る必要はない」と何度言っても、「だって色々助けてもらわなくちゃいけなんだから当然でしょ」というのが母の言い分だ。親亡き後も周囲に助けてもらえるようにという思惑があるから、姉である私にも同じような対応を求める。母にとっての私は、妹を心配し面倒を見る「同志」なのだ。子どもの頃からずっと、もう何十年も。
モヤモヤ解消のために
私だってツンケンして声高に権利を主張するつもりはないけど、障害者家族だからといって小さくなるのはおかしいと思ってる。謝る代わりに筆談や音声認識アプリを使ってみせたり、妹に直接伝えるよう頼んだりして周囲を啓発する方がずっといいよね。
一方で謝られて感謝されて当然という感覚でいる聴者もまだまだ多い。母が先に謝ってしまうせいもあるけど「自分は理解がありますよ」とか「配慮してあげました」みたいなニュアンスや、会話の間(マ)でこちらからお礼を言うのを期待されてると感じることもある。この微妙な感触、伝わる?
聞こえるきょうだい=ソーダの私はこういう場面に接するたびに煩悶する。
ろう難聴当事者と、聞こえる家族と、社会と――「障害」はその狭間にもあって、やっぱり厄介だと思うのだ。
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