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LIVE備忘録 vol.20 【光の方へ】

『カネコアヤノ 単独演奏会 2024』 at キリスト品川教会 グローリア・チャペル



人生で伝説のライブに出会うことは何回あるのだろうか。

ライブを観ている最中に、あるいはライブを観て数日経った後に、なのか。

ふとした時に
「今回のライブは伝説かもしれない。」
「あの時のライブは伝説だった。」
と思う。

その要因はセトリなのか、アーティストのコンディションなのか、はたまた楽曲のアレンジなのか。



前回のカネコアヤノのライブは伝説だった。

あまりにもスゴいセトリで、こんなにも楽しかったライブは今までにない。
あんなにも体中から湧き上がるエネルギーを抑えきれずに走り出したくなってしまったライブは初めてだった。


それよりも忘れられないライブがある。

2023年のZepp Tour。セトリはもちろん、アレンジが素晴らしかった。
もう一度見たいライブは断然こっちで、自分にとって伝説だ。




最近、音楽を聴いていない。

本格的に英語を喋れるようになりたくて言語交換アプリのTandemを始めたことがひとつの要因である。
通学の電車の中で、世界のどこかに居る人に英語で返信をする。
40分ほどの電車の自由時間がその作業で潰れていることが多い。
まだ英文をしっかり考えながらでないと返信が出来ないため、耳に突っ込んだイヤホンからは「無音」が流れている。
といいつつ、普段から電車の中では寝ているかnoteを書いているかなので、音楽を聴いていることは少ない。

一番の要因はメンタルが安定しているからなのだろう。
それはとてもいい事ではあるが、ただでさえ音楽の幅が広がるのが遅い自分にとって、メンタルの安定は完全な音楽の停滞期を意味する。



2024年10月22日

ライブの日こそは意識して音楽を聴こうと思うのだが、電車の中ではTandemを返信してしまう。
されど隙を見てはカネコアヤノを聴きながら向かう。


なんともパッとしない天気のなか降り立った五反田はなんだか良い場所。
少し歩けば落ち着いた東京の街という感じ。


今回のライブ、なんと生音。
電車の中でそのことを知ってあまりにも嬉しかった。
今までに生音のライブは観たことがない。
なんのフィルターもなしに届けられる歌声、ギターの音。
それをこんな素敵な会場で見られるなんて。


品川教会 グローリア・チャペル






厳かな雰囲気の会場の中、スーツのセットアップで来てしまった自分はさらに背筋が伸びる。
こじんまりとしたステージの上にアコギがふたつ。

地味に2022年の武道館以来2回目の弾き語りだ。

席は隣と近く、徐々に集まり始める観客が静かに肩を並べる。
隣に座っていたカップルがどうやら理系大学生のようで、会話から「線形代数」や「有機化学」という単語が聞こえてくることに嬉しくなる。

盗み聞きも程々に、ゆっくりと呼吸をしながら開演を待つ。






緊張感のあるチャペルの中、ややカジュアルな白いワンピースでカネコアヤノは現れた。


観客の衣服の擦れる音すら聴こえる会場で、ゆっくりとチューニングをする。観客はその様子を見守る。


暗闇の中聴こえてきたのは“どこかちょっと”。
隠れた名曲だ。

弾き語りAL『群れたち』に収録されたこの曲。
優しい歌声で紡がれる切なくも儚い日常の景色。
カネコアヤノの曲の中でトップレベルに好きなのだが、そんな曲をこの場で初めて聴けたことが嬉しかった。
仄かに発光しては消えゆく朝日のような演奏に心掴まれる。


久しぶりに聴いた気がする“明け方”では落ち着いたテンションのまま歌われると、続く“エメラルド”が凄かった。
「クローゼットの中で〜」で一気に最高潮へ上るとカネコアヤノの中でひとつのスイッチが入ったようで、伸びやかで綺麗な歌声は確かに会場を掌握していた。


“りぼんのてほどき”、“抱擁”と続けば、徐々に熱が上がっていくことを感じさせる。
情熱的な歌声の中に時折切なげな歌声を見せる。

続く“週明け”は、これまた隠れた名曲のひとつだ。CD音源よりも幾分か大人っぽくなった声と跳ねるギターが魅力的。


“ゆくえ”も跳ねるギターが魅力的。
「ぶつかる交差点が」で一息つき、消えゆくギターの音とともに際立つ真っ暗な会場。
じんわりと聴こえてきたサビとじんわりと響く優しいギターの音。
深夜の静けさから目覚めのような展開で、観客の衣擦れの音すらも音楽の一部のようだった。



ファルセットの響く“燦々”、照明も相まって歌の世界に没入させられた“朝になって夢からさめて”に続いて歌ったのは“春”。
メロディーも歌詞も直感的で、カネコアヤノの良さが溢れるこの曲。
最近はこういうテンポ感の曲をめっきり書かなくなってしまったような気がする。前2曲とは対照的にラジカルなストロークでパワフルな歌声も見られる。
力強いギターが最後まで響くと、一際大きな歓声があがった。


『よすが』から“爛漫”、“閃きは彼方”が続く。ロケーションも相まって“閃きは彼方”が特に素晴らしかった。
真っ白なスタジオにポツンと座って爪弾くMVを思い出す。



歯切れのいい指弾きのリズムが聴こえると“もしも”。
最近のカネコアヤノの隠れた名曲だ。楽曲のミニマルさが、こじんまりとしたステージと落ち着いた照明にとても合う。


これまた久しぶりに聴いた“手紙”は、ゆったりとしたテンポでなおカネコアヤノの切なげな歌声が際立つ。

一変して叩きつけるようなストロークで始まれば“タオルケットは穏やかな”。
ステージの後ろからの白い照明がシルエットを浮かばせる。
神々しさすら憶えるカネコアヤノの動きに釘付けになる。

“祝日”がさらにライブのクライマックスを感じさせ、その力強い歌声からやや繊細な歌声に変わると“さびしくない”。
変化のあるギターと歌声は、最近のカネコアヤノ楽曲の大きな魅力だ。
弾き語りだとなおもその良さに気づく。


今回の“光の方へ”はあまりにも響きすぎて、もうどうしようもなかった。
いつぶりに聴いただろうか。音楽性の変化に伴ってバンドセットでのセトリ入りは少なくなっていたと思う。
近年の楽曲に見られる斬新な展開は無い。だからこそ弾き語りが際立つ。

もう、どうしようもなく泣いてしまった。
息をのむ歌声とギターが響いた末、大きな拍手の中、鼻をすする音がところどころから聞こえていた。

最後の曲は“わたしたちへ”。相変わらず凄かったが“光の方へ”に持ってかれてあまり覚えていない。

相変わらずMC無しで1時間半歌い続けたカネコアヤノは、おもむろに立ち上がり少し恥ずかしげに微笑むと、会場全体に何度も「ありがとうございます」と伝え、やや駆け足で帰って行った。





色々なことを考えながら駅までの道を歩く。
手元のスマホには、世界中の人からメッセージが届いていた。
生音のカネコアヤノを観てしまったからには次は路上ライブで観たいなあ、だなんて叶うことの無いだろう夢を見ながら、気づけばその空虚な言語交換アプリをアンインストールしていた。



今回のライブは伝説だったのだろうか。

小さく綺麗なキリスト教会で、マイクを通さずに歌声が届けられる。
カネコアヤノの呼吸、鼻をすする音、衣擦れの音でさえも音楽のひとつになっていて、観客の呼吸、鼻をすする音、衣擦れの音でさえも音楽のひとつになっていた。
曲の間のチューニングも、カポタストを置く音も全てが音楽になっていて。
落ち着いたスポットライトに浮かぶカネコアヤノの顔は、どこか苦しそうな顔をしていたり、楽しそうな顔をしていたり。
“どこかちょっと”から始まり“わたしたちへ”で終わった今回のライブは、1時間半ひと続きの楽曲を聴いているようだった。


自分の中で、冒頭で挙げたふたつのライブを超えることは出来なかったかもしれない。
だけれども、今回の“光の方へ”はこの先ずっと、この先ずっと忘れないんだろうと思う。



寝不足に伴うクリエイティビティの欠如によって、執筆がとてつもなく遅くなりましたとさ。


さよーならあなた。





[セットリスト(合っているか怪しいです)]
1. どこかちょっと
2. 明け方
3. エメラルド
4. りぼんのてほどき
5. 抱擁
6. 週明け
7. ゆくえ
8. 燦々
9. 朝になって夢からさめて
10. 春
11. 爛漫
12. 閃きは彼方
13. もしも
14. 手紙
15. タオルケットは穏やかな
16. 祝日
17. さびしくない
18. 光の方へ
19. わたしたちへ

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