20190816 『転換期』
いつから光を求めて描くようになったのだろう。
いつもの通り無事…とは行きませんでしたが、
二ヶ所巡回展示会
『鳳蝶の夢に舞う光彩と遊んで』
遅ればせながら、閉幕のgdgdな挨拶を。
会場を提供して下さった、
伊吹山文化資料館の皆さん、café LuKさん。
一緒にコラボして下さった岡田健太郎さん。
記事にして下さった、中日新聞さん、滋賀夕刊さん。
そして、見にきて下さった皆さんに改めて感謝の言葉を。
ありがとうございました。
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記者の方と話していた時に
「色鮮やかな絵を描くようになったターニンングポイント、きっかけとか有ったんですか?」
そう、聞かれ、言葉が詰まった。
全くそういったキッカケを自身で感じていなかったから。
DMを作ったり、身体が動かない時にphotoshopで遊んでいたりする内に、
「お、これいい感じ!」と感じた作品を作る過程の途中で偶然生まれたものが
僕の『デジタルフォトコラージュ』作品で、
単純に「綺麗やな」とか「お、これ面白い」とか「カッコいいやん!」と感じたものだ。
ある意味、僕の作風の中で『完成』と言える作品は彼らなのかもしれない。
シックスセンス的な要素が視覚を満たした時に生まれたモノ達。
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大学時代、僕の作品は今見ても少し悍ましいぐらいに、ドロっとした色合いの作風だった。
今回の展示では自身の作品や撮った写真をPC上で加工した『デジタルフォトコラージュ』の作品。
Live paintingで描いた作品や5時間で描いた畳3枚分のサイズの作品、
つまりは『短時間で音楽のインスピレーションの元に絵描いた作品』。
そして画材研究の末に作品となった『成果』と言える作品の三つに分類されていた。
大学時代、頑なに『綺麗な色』を使わずに絵描こうとしていた。
綺麗な色合いで描けば受けのいい作品が生まれる可能性は高い訳で、
汚い、ヘドロのような色合いを使ってカッコイイ作品を描きたかった。
天の邪鬼な性格な為、どんな作品もグレーに染まった。
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帰省して最初に描いた作品は、亡き友人に捧げるつもりで描いた油彩画。
3年前にグランプリを頂いた青い作品。
至上の自己満足を求めて描いたモノだ。
その頃、僕は鬱とよくわからない身体の不調に苛まれている最中に必死に描いた事を覚えている。
そしてグランプリを頂いた事で僕の人生は大きく変わった。
市の芸術団体に誘われ、参加し多くの様々な分野の芸術家に出会った。
ここまで書いても、問いに対しての答えが出ない。
ただ、僕は鬱やその他の疾患を患ってから、絵を描く時間を得れる幸せを再認識したのは間違いなくて。
自分自身が必死の闇の中で小さな光を求めていたからなのだろうか。
気づけば色鮮やかな作品を描く事への抵抗が無くなっていた。
今は少しづつ、
光を受け入れる事が今出来ている。
そう、探していたのではなく、拒絶していたんだ。
それでもキッカケは分からない。
ただ、やはり、『死』についての考え方が右往左往し、
今、自死を選択することが決して無いとは言いきれないでいる。
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僕は描き続ける事が使命なのかもしれない。
そんな風に最近思う。
そして、こんな心と軀の僕を愛しいと言ってくれる人が出来た。
そして、僕も彼女の事を愛しく包み込みたいと思えてる。
この四年間、ずっとそんな存在が出来るとは思わなかった。
きっとまた僕の作風は変わっていくのだろうな。
僕は彼女と共に死にたい。
そう誓った。彼女の亡骸を描いてから追いかけると。
だから、僕はまた生きる勇気をもらった。
生きていいと誰かが認めてくれた。
キッカケってそんな時なんだと思う。
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惚気話になりつつあるけども、
滋賀に帰ってきて三年が過ぎた。
様々な人たちに出会った。
中には生き辛さを感じてる人たちも多くいる。
僕自身もそうであるけども、
その人たちがほんの少しでも
生きやすくなるように
お手伝いを少しだけしている。
優しさ
慈愛の心
ぬくもり
絆
少しの親切。
僕の画風を変えて行ったものは、
それらに触れた事なのかも知れない。
今回の展示は
祖母へ今までの感謝を伝えたくて
企画した。
サブタイトルをつけるなら
『優しさに包まれて』
伊吹山という滋賀県最高峰の山から湧き出る大地の恵み。
珈琲が飲める場所という居心地の良さに満たされた空間。
僕を愛してくれる人へ
ありがとう。
僕が愛する人へ
ありがとう。
また一歩進めた気がする。
了