戦略上、退却戦も重要である
生涯無敗は稀である
戦闘にはもちろん勝ち負けがある。どんな有名な名将も負けるときは負けるのだ。あの織田信長も生涯を通し勝率は6-7割である。戦いで負けたことがないのは、甲斐宗運、吉川元春、アレクサンドル・スヴォーロフ、ルイ=ニコラ・ダヴー等数えるほどしかいない。(不敗の将軍を調べると漫画や映画顔負けの強さで面白い)ゆえに戦いにおいては必ず退却・後退・撤退のことは頭に入れとく必要がある。
追撃されるということ
退却する側は、敵に背を向けるということになり、追撃されると反撃ができずに被害が増えるばかりである。しかし、追撃する側も追いかけるのに必死になり陣形が崩れるということが多い。そのため退却側が追撃を念頭におき組織的な反撃にでることができれば被害を少なく追撃側を撃退するこも可能だ。いい例が三国志の五丈原の戦いだ。234年魏へ北伐した諸葛亮は五丈原で司馬懿と対峙した。にらみ合いは100日にも及んだが諸葛亮が病死したため、蜀軍は撤退を開始し魏軍が追撃を開始したが蜀軍が反転攻勢をかけたため、司馬懿は慌てて軍を引いた。「死せる孔明(諸葛亮)、生ける仲達(司馬懿)を走らす」という諺でも有名だが、これは蜀軍が統制がとれた組織的な行動がとれたため退却に成功することができたのである。
殿
しかし、上記はまれである。退却するということは戦いに負けたという状況であり、大半は包囲、分断、挟撃、陣形崩れが起きてしまっているのである。このような状況では、退却側は組織的な行動がはできない。そのためこの時、退却側できるのは軍の一部が足止めをし、本隊・上層部を逃がすという方法となる。日本で言う殿である。この殿は少数で大軍と戦わないといけないため金ヶ崎撤退戦という例外を除き生存率は極めて低い。(羽柴秀吉・明智光秀・池田勝正が奮戦し織田信長を逃がした上、3人とも撤退に成功している。こちらもどちらかというと織田軍は統制が取れており、組織的な行動はできた)関ヶ原の戦いでおきた、島津の退き口(捨てがまり戦法を使った殿)では島津勢1500名が薩摩に戻るころには総大将・島津義弘含め80名ほどにまで減っていたし、湊川の戦いでは楠木正成が新田義貞を逃がすため、700名全滅するまで足利軍に徹底抗戦した。殿とは壮絶なのである。
捨て駒ではない
殿を務めるというのは、捨て駒に見られがちであるが戦略的に考えると重大な役割である。第二次世界大戦中におきたダンケルクの撤退作戦(ダイナモ作戦)では、カレーに英軍、ダンケルクに仏軍を殿として残し英仏軍33万人の撤退に成功させた。この33万人の訓練された兵士がノルマンディー上陸作戦で中核となるのである。また、上記の島津の退き口も総大将である島津義弘が生き残り徳川家康と交渉ができたので、島津本領が安堵されたのである。そのため本隊・上層部を逃がすための殿は戦略上とても重要なのである。
終わりに
基本的に頭に思い浮かんだことを少し調べ書きなぐったものである。
面白い小話程度に思っていただけると幸い。
参考文献 図解雑学 名将に学ぶ世界の戦術 家村和幸 ナツメ社