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【感想】映画「えんとつ町のプペル」-僕はえんとつ町の町の人-

僕はブルーノで泣いた

ブルーノが出てくるすべてのシーンで泣いた。ブルーノが出てくる度に、ブルーノの声が聴こえる度に涙が止まらなくなった。

夢を持てば笑われて、声を上げれば叩かれる。そんな現代社会の縮図を西野亮廣は映画にした。西野さんは、この映画を自叙伝だと語っている。この映画はエンタメ(フィクション)だけでは語れないノンフィクションの物語が詰まっている

芸人キングコングは華々しいデビューを飾り、ものすごい勢いでトップに上り詰めた。はねるのトびらでは視聴率20%越え。上り詰めた頂きから見えた世界は、越えられそうもないタモリさんやたけしさんの背中。そんな中、立川志の輔師匠の『志の輔らくご』をみて、終演後に客席で泣き崩れたとのこと。ブルーノの声優を務めたその人だ。

自分の面白いと思うことを全力で表現し、劇場を埋める満席のお客さんは志の輔師匠を目当てに来ている。西野亮廣にとって立川志の輔は大きな背中を見せてくれた人だと語っている。誰よりも早く次の時代を読み、自分の夢を持ってテレビから軸足を抜いた。0.03ミリのボールペンで絵本を楽屋の隅で書き続け、「ディズニーを超える」と豪語する西野亮廣をまわりは笑い者にした。そんなリアルとエンタメの境界線が曖昧な物語がこの映画には内包されている。

共感しないはずがないのだ

僕は中学生の3者面談のことを覚えている。「この子は物事をよく考えている。しかし、結論に対する見積もりが甘い」そう担任の先生に言われた。夢や目標を持ちそのためにはどうすればいいかを逆算して考える。方法論や実力に不備があったとしても夢や目標が変わることはない。「結論に対する見積もりが甘い」そう言われた時「そんな夢は無理に決まってる。君はちゃんと考えているんだからわかるでしょ?現実を見なさい」そう言われた気がした。

高校生になって吹奏楽部に入部してサックスを始めた。音楽が好きになりこの道に進みたいと思った。進路を決める2年生の冬、音大へ行くことを決めた。経験が多いわけでも才能があるわけでもない。それまでバリトンサックス(伴奏)しか吹いた事がなく、しかも受験まで後1年しかない。あまりにも無謀だ。周りの人間も「馬鹿な道へ進んだ」と笑っていただろう。

1浪をして音大に入学した。しかし、音大なんて全国のスーパースターが集まる猛者の集団。まったく歯が立たないのだ。ただ、その世界に入ってみてある事に気がついた。演奏会には、サックスをやっている業界人しか聴きに来ないのだ。こんなにも素晴らしい演奏する先生や先輩方が、サックス村という小さい経済圏の中だけでグルグル回している現状をみて、いったい誰のために音楽をしているのだろう?と思えた。上り詰めた先に待っている未来や上手さを競う音楽に疲れ絶望した。

上手さや競争ではなく純粋に音楽を楽しみ、大切な人へ音楽を届ける。そんな音楽がしたい。そして、そんな音楽を愛する人を応援したい。そんな夢へと変わった。サックス村から離れ1人でインターネットでtataのサックス講座を開始した。このプロジェクトを始めた時に同級生から言われた言葉が「なんで、お前がそんなことをしていいの?」だった。

それから1人でWEB、マーケティング、コピーライティングを学んだ。興味があることや与えられた環境から学べることは貪欲に学んだ。その結果、サックス以外もマルチなスキルが身についた。自身のプロジェクトの映像もマーケティングもWEB制作などの細かい作業も含めて一切外注に出すこともなく、全て1人でできる知識とスキルが身についた。映像制作に至ってはそれだけで仕事を受注できるようにもなった。ただ、まだ1人でしかない。

信じ抜くんだ!
たとえ、1人になっても

西野さんが僕の生活の一部となったのは、「革命のファンファーレ」を読んで衝撃を受けた後、オンラインサロンに加入した2018年5月からだ。それから毎日投稿される記事を通じて、励まされ、教えを請いその背中を追ってきた。

芸人としての話術やコミュニケーション力、センスがもの凄いのは言うまでもない。最近はビジネス界の革命家としても認知される事が多くなった。ビジネスセンスが凄すぎてそこばかり注目されるが、圧倒的に凄いのはクリエイターとしての能力や演出の能力が世界トップレベルということだ。そんなすべてにおいて一流の天才が息をするようにインプットとアウトプットを繰り返し、血の滲むような努力を365日継続する。その上で誰よりも優しいのだ。0.03ミリのボールペンを握りしめたった1人で始めた挑戦は、多くの人を巻き込み応援され、その応援の輪は指数関数的に増えていき、その総力戦と大きな期待と覚悟を持って、今まさにこの映画に挑んでいる。その背中を2年以上、毎日見せつけられてきた。

共感しないはずがないのだ。
刺さらないはずがないのだ。

「こいつの未来をお前らが決めるんじゃねぇよ」
「下を向くから揺れるんだ。上を見ろ」
「星を見るにはなぁ。その一瞬を逃さないように誰よりも長い時間ずっと上を見続けてなければならねぇんだ」
「行動しろ。思いしれ。常識に屈するな。」
「たとえ1人になっても信じて上を見続けていたらよぉ。その時、お前と一緒に上を見てくれる同志が現れる。友達だ」

ブルーノのセリフのひとつひとつが心の奥に刺さっていく。西野さんにとってブルーノが立川志の輔師匠なら、僕にとってのブルーノは西野さんなのだ。

「えんとつ町のプペル」の主題歌のサックスカバーをアップした時に、友達が「演奏してるたたくん自身の物語が乗っかって見えるから泣けてくるよね」とコメントしてくれたのが心の救いだった。ちゃんと見てくれている人がいるんだ、1人じゃない。そう思えた。

ただ、この映画をみて改めて「自分だけで星を見に行くだけじゃダメだ。みんなに星を見せないと誰も納得しないだろ?さっさと結果を出して世界を変えてみろよ。」そう言われているような気がした。ブルーノの背中は、優しくもいつも厳しい。

そして、いつかブルーノに言われたい
「頑張ったな、チビ」と。

圧倒的なクオリティーと圧巻のプロモーション

僕もクリエイターの端くれだからわかる。たった1カットの映像を作るのにどれだけの時間とどれだけの労力とどれだけの命が削られているのかを。その1カットの背景にはとてつもなく細かい設定があって、語り尽くせない物語が詰まっていることを。ほとんどの人がた見逃すであろう細かい書き込みや伏線にこそ命をかけていることを。

僕もマーケッターの端くれだからわかる。コロナ禍で打ち手が限られる中、柔軟に対応を変更しながら、ものすごい手数と緻密な戦略が練られて、怒涛のスピードでプロモーションされてきたかを。いかに多くの人を巻き込み、この映画の制作側(応援者)になるように様々な企画をしているかを。世界中でヒットする前提で2次展開や3次展開を見越した設計になっていることを(冒頭のアクションシーンを見た時、これはいつかUSJのアトラクションになると思ったよ)

この作品は、ストーリー、映像クオリティー、プロモーション、どの角度からみても素晴らしいアニメーション映画だ。

誰が見ても心の琴線に触れると思う。
今、まさに夢を持ち挑戦しているひとも、夢を持ち挑戦しようと模索しているひとも、誰かの挑戦を応援しているひとも、夢に破れ希望を見出せないひとも、これからキラキラな目で未来を見つめている子供たちも、どんな立場でどんな境遇にいたとしても、すべての大人と子供が共感できる映画になっている。

そして、この映画は映画を見ただけでは終わらない。もうひとつ大きな希望を見せてくれる映画になっている。

まだ物語は終わっていない

この映画が出来るまでの西野さん自身の物語を圧倒的なクオリティーのファンタジーで表現したのが「えんとつ町のプペル」だ。西野亮廣が手掛けるとてつもないエンターテイメントの本質は、リアルとファンタジーの融合にある。映画「えんとつ町のプペル」の中に出てくるスナックCANDYは全国にあり、腐るお金レターもLetterPotというサービスで現実にある。オンラインサロンは街としての機能しており、既にその街の中では経済圏も生まれている。

新型コロナで世界中が煙で覆われ、世界中が先が見えない苦しみに耐えている今、あらゆる逆境を跳ね除け、この映画が世界的な大ヒットを記録すれば、この映画の物語はフィクションではなくリアルな物語として語り継がれる。その物語は、すべての人の希望の星でしかない。この映画が現実の鏡なら、現実の物語も星を見せることでしか完結しない。

きっと西野亮廣は見せてくれるはずだ。

あなたがこの映画を見終わっても、まだ現実の物語が終わってはいない。現実の物語はまさに終盤。星を見に行こうとしているシーン。星を見ることを諦めなかったルビッチも、星を見ることを諦めたアントニオも、星なんてある訳ないと下を向いている民衆も、星を見せたくない異端審問所も、この煙の向こうに星があって世界に希望をもたらすことを心の底では望んでいる。

多くの著名人やビジネスマン、Youtuber、ミュージシャン、サロンメンバーが西野亮廣を応援し、この映画を成功させたい、そんなムーブメントが起こっているのは、リアルで動いているこの物語をハッピーエンドで終わらせてほしいという願いが込められている。

このリアルの物語の結末は僕たち1人1人に委ねられている。

「誰か見たのかよ。この煙の向こう側を誰か見たのかよ。誰も見てないだろ。だったらまだわかんないじゃないか。」

ルビッチにこう言われて、僕たちはどう行動するのか。プペルとルビッチの2人の革命に、掃除屋の仲間も加勢し、今まで星をバカにしていた友達も勇気を振り絞って立ち上がる。その状況をみて町の人は1人また1人と立ち上がるシーンがある。

僕が映画を見終わった後もドキドキして何度も映画館へ訪れようとする理由は、この映画が素晴らしいからだけじゃない、星を信じて立ち上がる1人になりたいからだ。映画の脚本は西野さんの一存で結末を変えられるが、このリアルの物語は西野さんの手を離れ、最終的な結末は誰にもわからない。

「ドキドキするじゃないか」

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tata
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