歌詞の世界を語ろう
このnoteは2020年5月26日のオンラインサロン『Online Music Salon』への投稿をもとに作成しています。
こんにちは
前回の記事で音痴なことをついに暴露してしまったtataです。
#カラオケには誘わないで
さて、今日は「歌詞」について想うことをつらつらと書いていこうと思います。
僕はサックス吹きなので、音楽の中で「歌詞」というファクターが一番遠くに感じます。
しかし、歌モノカバーに挑戦する際にもお伝えしましたが、歌詞に対して非常にリスペクトをしておりまして、特に最近は興味深々なテーマなんです。
歌って素敵だなと思う
これまで僕の音楽は、インスト(歌詞がない音楽)が中心でした。初めてCDを買ったり、ポピュラーソングを聴き始めたいわゆる大人の音楽元年というのがそれぞれあると思いますが、僕の場合は、それが小学5年生でした。
#ちなみに初めて買ったCDは 「YAH YAH YAH」
そこからなけなしのお小遣いを使ってCDをコレクトし始めたのですが、ミスチルあたりがものすごい勢いで新曲をリリースしたときに、お小遣いのペースと新曲のペースにミスマッチが起こり、少年心にもうこれ以上ポップスをフォローできないと絶望した時がありましたそれ以降は、ポップスのCDを買ったことあったっけ?っていうぐらいCDを買った記憶がありません。反抗期なのか、なんの逆張りなのかはわからないのですが、気持ちはポップスから離れ、中学生という一番、多感な時期に聴いていたのはピアノ曲だったりしました。高校生の時に吹奏楽部に入り、サックスを手にしてからは、とにかくサックスとかピアソラとかそういった音楽が人生の中心にありました。
その時代に流行っていた曲を歌詞カードを見ながら、歌ったり、歌詞の意味を吟味したりといった聴き方は、小学生で終わってしまっていたので、歌詞よりもサウンドやメロディーを中心に聴いてしまうクセがあります。今でも歌詞を読んだときに「えっ?こんな内容の歌詞だったの?」と気が付くことも多々あります。そんなこともあって、僕は一般的な感覚よりサウンド重視で音楽を聴いている傾向が強いのではないかと思っています。また、これまで僕は「歌詞」を専門外とか違う世界の話と捉えている節がありました。
ただ、言語表現という意味では、こうやって文章を書くことが仕事の一部になり、これまでも短編小説を書いたことがある様に、言語表現は僕にとっては身近な分野だったりするので、今回は柄にもなく歌詞について語りたいと思います。なんともまぁここまで遠回りして、やっと「歌詞」に向き合う気になったか、という感じがしています。
共通する良い作品の特徴
映像作品でも小説でも音楽でも、良いとされる作品には共通する特徴があります。
結論からいうと
「その作品(言葉)から世界が広がっていく」
という事だと思います。
作品というのは、多くの場合は箱のサイズが決まっています。音楽や映像作品であれば長さ、小説であればページ数など。音楽や映像、小説など、文字数や時間に厳格なルールはありませんが、それぞれに適正なサイズというのはあるし、何より視聴者が耐えられるサイズというのが必ずあります。近年は、インターネットの普及により処理すべき情報が明らかに多くなった現代人に許容される時間(作品に接してもらう時間)はものすごく短くなっていると思います。
つまり、アーティストというのは、表現したい無限に広がる世界を小さな小さな作品という箱にギュッと収めないといけないのですね。特にメロディーの音数という制約のある歌詞では、説明的であればあるほど駄作だと思います。ひとつの言葉から、その人の置かれている状況や心情、言語にはできない感情までも表現しなければなりません。「その作品(言葉)から世界が広がっていく」というのは、ZIPファイルの様に情報濃度を圧縮し、受け手がその言葉を受け取った時に、ものすごくたくさんの情報を含む表現を持つことを意味しています。
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Online Music Salon(note版)
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