第9回 蛇の道
こんにちは、ビブレンス、まちと建物担当のタツです。
いつもギリギリでいってきましたって話ばっかりですが、今回もそろそろ上映が終わる黒沢清監督の「蛇の道」をレイトショウでギリギリ見ることができました。
最後列でレイトショウで一人で映画館独占かって雰囲気でしたが、2、3人の他のお客さんもギリギリに登場してまぁもっと入ったほうがいいなとは思いつつ見てきました。
内容はまぁ細かいことは抜きにして、いつものようにヒリヒリするサスペンスがずっと続く面白い映画でした。機会があれば劇場まで見にいってみてください。
ここで書きたいのは、黒沢清監督が建築をどう捉えているかって話です。
この映画はフランが舞台。主演の柴咲コウがカフェで二人でお茶しながら深刻な会話をするシーンがあるんですが、窓の外を通る通行人が異様な速さでみんな歩いています。なんなら同じ人がすごい速さで戻ってきたり。その異様さは手前の静の二人と対照的で画面の中の緊張感は高まっていきます。
以前も「クリーピー」の中で大学の研究室(埼玉県立看護大学がロケ地でした)で会話してる二人の外で異様に学生らしい人が増殖していくシーンもあって、この人は建築の本質を感覚か何かで捉えてる人だなと思っていたことを思い出すシーンでした。
現代建築はガラスって材料を手に入れたことで、窓や扉を使って、なんなら壁そのものをガラスにして外部と内部が繋がっていく空間を構想していることが多いです
。どこまでが内部かわからなくして境界を曖昧にしたいって考えてますが、音と天候だけは基本守るって形ですね。
そのことを黒沢監督はそのことを理解していて画面の中に関係ない場所で別の意味を発生させています。観客が意識的に気づかなくても画面の不穏さは醸し出されていきます。ちょうど小津さんが小物自体とその配置に偏執的にこだわったことで違う雰囲気が発生しているように。
表現者が建築をどう捉えて使っているかというのはそのものが批評です。とても興味深い解釈や深い理解してるなぁと感心する映画やドラマがあればまた紹介できればと思います。