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自身の中の"熱量"の最適解を探して(2)

「熱量」の最適解

そんなものが自分である程度分かっていたらどれだけ楽だろうか

いろんな情報が簡単にたくさん手に入れられてしまって、それは素晴らしいことだと思いつつ、それに追いつかない、消費、摂取しきれない自身を責める現象が増えてきてしまっているなぁと思う今日この頃。

自分の好きな「熱」い。
それが欲しくなった時、せめて言葉や文章に少しでもできていたら、手助けになってくれるかもしれない

そんな思いから生まれた、自分の中での「熱量とは?」という漠然とした問いに対して

正解に導いてくれそうな作品が2つあった。
1つは前回記事で紹介した「THE FIRST SLAM DUNK」

そして作品の2つ目

JAZZ漫画原作の「BLUE GIANT」である

映画の公式サイト

この映画、漫画原作に対しての知識はほぼ0の状態。
知っていたのは「熱」いJAZZであるということくらい。

自分が学生の頃4年近くのめり込んだジャンルであるにも関わらず、一切漫画に対して手を出してこなかった。

恐らく、ずっとそのジャンルのリアルと向き合いすぎて、漫画という空想にまでそのジャンルを持ち込みたくない、一種の防衛本能のようなものが働いていたからであろう。とおもってまーす!

いざ映画が始まる。
端的に言うと、主人公、そして主人公に巻き込まれたり、影響されたり、はたまた巻き込みに行ったりする数多くのキャラクター全てが放つ、生々しい「熱」苦しさを浴び続けるも、あっという間に感じる2時間の作品であるということだ。
こちらも気づいたら5回ほどは泣いていた。鳥肌も何回も経った。
スラムダンク以来の衝撃に妙な高揚感さえ覚えていた。

端的でこれなんだ。すべては語れないがここからはさらにお粗末な気まぐれ文のようになります。

まず、ストーリーに関してだが,,,
個人的には実際の現状を知っているからこそであるが、リアリティにも欠けてあまりもの夢物語であるなとは思ったが、それこそが漫画としての空想感を引き立たせてくれてよかった。
むしろ話の現実性がないとわかったからこそ楽しめたのは大きい。

そうなんだ。もはやストーリーではない。(もちろんストーリーも大事です!)

ところどころに垣間見えるキャラクターの些細でリアルすぎる心情の変化。
経験値や目標や背景、すべてにおいて違うメンバーが、彼らが信じる「好き」で「かっこいい」と思えるJAZZという音楽を作り上げていく姿
そして何より、主人公の、夢への純粋さ、自分への確固たる自信、折れないだろうと思わせる夢への信念、冷静な分析力、クサいという言葉なんて知らないくらいぶっ飛んでいて、周りの人間を巻き込み感動させることのできる「熱量」。

こういったたくさんのことを感じさせてくれるシーンの詰め合わせが最高だったんだと。

細かいことは是非この作品を通じて感じ取っていただきたい。(ぶん投げました~(笑))

この映画はむしろ、音楽に関わったことがない、ジャズなんて高尚な音楽だろ、バンドマンと付き合うとかありえない、とか音楽やジャズに対して消極的なイメージを持っている人にほどぜひとも見ていただきたいと思える作品です。

この作品で個人的に印象的なのは、漫画や映画を通してよく描かれるシーンとして、主人公が川辺や橋の下などの自然を感じる大きな路上スペースで、ひたすら楽器を練習し孤独に音楽と向き合うシーンが描かれる。

最近は「努力の方向性を間違った努力は無駄だ」という文章や、「最短の必勝法」、「これだけやれば絶対○○」なんていうワードをよく目にすることが増えた気がする。

いつも思うが「最短」や「方向性」なんてものは実際にやってからでないとわからないもんではないかと思っている人間なので、そこを真正面から否定してくる描写を描いてくれるのはメッセージ性が強く、胸が高まった。

そこで「そうそうこれこれ!」感につながるのも楽しかった
(でもこの感じって一歩間違えると、「高圧的だな」って変換されそうとか思う、それは悲しい)

「効率なんかクソくらえ」と言わんばかりの描写でありメッセージだと個人的には感じるし、すべてはそういう「雑草」や「更地」のようなところから始まるというのは実際「挑戦」という行為をしたことがある人なら共通してわかることだと思うし、ある種の正解の道理であるとも思う。

そんなこんなで2作品を楽しんだわけですが…

この2作品を通して今のところの「熱量」に対しての最適解は
「ブレずに立ち続けるも、ちゃんと雨や風などの周りの自然や条件を受け入れることもできる一本の木の太さ」って表現できるんじゃないかな
と感じた。

ここまで限定的に言うのも、やっぱり「熱いもの」っていうのが実際にはたくさん描かれたり目にすることが多くて、そういう風に一括りにされがちだと思うから。

本当に得られる情報が増えて、便利が進んでいるけれども、そのおかげで長いものには巻かれろ的な感じで片付けられたり、区分されることが増えてきたような気がする。

分かりやすくすることと、自分の中で落とし込むことではやっぱりちゃんとうまく使い分けていかないといけないなとつくづく思う。

とやかく書いたけれど、あー、これで少しはたくさんのドンピシャ「熱量」という物に触れられる機会が増えたるんじゃないかな~→そんな甘くねーよ!と熱量という言葉が怒っていますね絶対(笑)

そんなこんなで今日も好きなもののうちの一つ「熱」いもの探索にでも出かけようかな、なんつってね。
→古いかもしれないけど、巷で噂の「知らんけど」と同じだろ、だからいいだろ、と思っている。

ここまで読んでくださった方がいたら感謝感激です

それではまたどこかでお会いすることにしましょう

まったね~





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