触感経験値
これ持ってみ?
と言われて、実際に持って触れて比較させられた時、だいたいどっちが重いかはすぐわかる。
けど、どっちが重そうに見える?
って言われて何かを見た目だけで判断したとき、大体はハズす。
タチの悪い人なんかは、重そうに見える「色」や「形」、「素材」なんかを駆使してきてありとあらゆる手で騙しにかかってくる。
そして見事にその人の掌でハムスターの無限ランのようにコロコロ転がされる。
この原理っていろんな人や物に当てはまりやすいことなんじゃないかなと思う。
というかこの原理を上手く使ってお金を稼ぐのが儲かりもんの商売の典型、王道だとも思う。
実際に自分はこの原理、いわばその原理を「てこ」や「天秤」にかけることを無意識に行い、趣味でも仕事でもどんな分野においても引っ掻き回され、手を煩わされる。
百聞は一見に如かず
よく言われるし、今までに何度も実感してきた言葉。
自分のはその先の次元にこんなことわざがあってもいいと思う。
百見は一触に如かず
冒頭の原理でコロッと自分がやられて負けてしまうのは、この感触を味わう経験がないから。
いわゆる触感経験値ものがないから。
昔で言えばラジオスター、それから映画スター、有名芸能人、一流アーティストという単語を経て、今ではインフルエンサーまでと、実際に会う機会が少ない、触れる機会なんてめったにない人に対して、一種の崇拝、憧れ、安心感を覚えるあの感じって、触感経験値が少ないからだと思う。
中途半端にその対象を「聞く」や「見る」ことが与えられるから勝手に良い方向に想像が働いて、もはやそれが正義のようになって、素晴らしい偶像が出来上がる。
もちろんそこには触感経験値の高まる余地はない。
鍛えられるのは想像力、妄想力という名の見聞経験値だけだ。
さすがにここまでは言い過ぎたけど、最近は自身も含めて見聞経験値だけが高まって、触感経験値を高める場所なんて減っていると思っている。
そしてそんな状況がどこかの誰かによって操作されてるんじゃないかなと恐怖に近い感情にまでなるときもある。
世界にはうん十億人いるんだからたくさんの人と触れ合う機会がある、というセールスみたいな表現より、実際に生活していて外を歩けば人の一人や二人に会うことは当然のようにあることが多いの事実だろう。
そこで挨拶したり、その人のことを観察するだけでも触感経験値は上がるはずなのに、そういう機会すら減っている気がしてならない
別にそれに対して文句を言うわけじゃない。便利の代償がこれなんですかね?って感じで。
レジも対面じゃなくてセルフレジ、切符は切らずに電子マネーでワンタッチ、仕事は出社じゃなくてリモート。
ほら、触感経験値下げるように操作されてる感じしない?
今日からセルフレジにも、電子マネーにも感謝伝えようかな。
まあ、自分はこんなことを書いておきながら寝たらある程度は忘れてしまう人間なんですけれどね
↑
ふざけんなコノヤロー!!!
見聞経験値も大事にしつつ触感経験値を大事にしていきたいって話でした。
ありがとうございました。
ここまで読んでくださった方がいたら幸い感謝感激です!
ではまたどこかで、またね👋
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