「発信することの大切さ」を逆の視点から見つけた話
「自分の好きなことを発信しましょう!」
誰かがそう言うのを聞いたことがない人は、
少なくともこうしてnoteを読んでいるような人にはいないと思う。
(もしこの記事が人生初noteの方は、、ようこそ!ここは発信を楽しむ場所です!)
「私には伝えられるような情報はないから、、」
そう思う気持ちはうんざりするほどよくわかるのだけど、
そうは言っていられない。
なぜなら、
マクドナルド兄弟がハンバーガーショップを始めた時も、
ビートルズがレコード会社のオーディションに応募したときも、
『進◯の巨人』の作者が原稿を持ち込んだ時も、
一度ならず拒絶されたから。
だけど、
彼らは諦めずに自分たちのアイデアや作品を発信し続けたから、
それは認められ、大きな成果を生み、
自分たちにとっても、周りの人にとっても、世界を良くすることができた。
(マクドナルドのない世界なんて、高校生時代の僕なら絶対に行きたくない)
とまあ、これはよく言われることで、
「そうはいっても・・」という気持ちもやはりよくわかる。
「そりゃあ、彼らは元々持ってるものが違うから・・」とかね。
たしかに、
あなたの才能を信じてあげられるのは、
時と場合によるとはいえ、
基本的にはあなた自身。
拒絶されたり認められなかった時の苦しさに耐え続けるのはなかなかしんどいもの。
今日書きたいのは、
その拒絶するサイドの話。
少し前に、ある本を読み返した。
それが結論から言うと最高だった。
僕のお気に入りの作者さんで、
最初の2作は夢中になって何度も読んだ、
シリーズの3作目。
実はこの本を初めて読んだ時、
僕は正直いうとガッカリした。
前の2作で書いてあったのと同じようなことが書いてあり、
1冊全部を使って、
「あとは実践だけです!」と書いてあったように思えたからだ。
その本を、間が空いた今改めて読んでみて、
魂が震える思いをした。
「そうそう、もうやるしかないよね!」
と、作者の主張に全面ヘドバン同意
(頭を縦に振るという意味ね)、
そして、「実践」ということがいかに楽しいか、
読みながら自分の経験・考えを作者の主張とデュエットさせるような、
素晴らしい読書体験だった。
ここでふと思った。
「自分が編集者だったらどうだろう?」
この原稿が作者の1作目だったとして、
編集者の自分に渡された原稿を、
自分は突き返していたんだろうか。
あったかもしれないよね。
実際のこの作者さんは20冊以上の本を出版されている方なので、
おそらく頑固な編集者にめげず、きっと作品を発信し続けてくれたと思うのだけど、
もしこれで諦めてしまっていたら、、
素晴らしい作品が一つ世に出なかったかもしれないんだな、と。
なので、
言いたいのははこういうことです。
あなたの発信したものの価値を、相手はわかってないかもしれない。
しかも、
わかってないのにわかってる風に言うのは、
ものすごくよく起こる。
だから、あなたの発信の価値に気づく人に出会うまで、
発信し続けましょ。
ということね。