だからすき焼きは、特別なんだ。
なんのこともなくスマホを見ると、不在通知のメールが届いていた。
仕事関係の資料かなと思いながら内容を確認すると、
品目は「お歳暮(さつま牛セット)」と書いてある。
あなたにとってどうかはわからないが、
僕の暮らしにお歳暮はそれほどなじみがない。
1年の中で、お歳暮を受け取る回数と、無限関数の微積分の話をする回数なら、
大接戦を演じるくらいだ。
(無限関数という言葉は、今適当に、初めて使った。お歳暮を受け取るのは僕個人としては初めてだったからだ。)
次の日に再配達の手配をして、そのためだけに出発を遅らせ、
届いたのは鹿児島ブランド牛のロース。
さっそく彼女と話をして、すき焼きパーティをすることにした。
ここで考えてみてほしい。
あなたの人生で、
「もうすき焼きを食べること以外考えられない!とくれば今日のディナーはすき焼きにしよう!」
と思ったことは何度あるだろう。
もしあなたが僕だったなら、きっと答えは「ゼロ!」だったはず。
なぜなら、僕にとってすき焼きは、「食べたいから食べるもの」ではなく、
「いいお肉があるから食べるもの」だからだ。
そして残念なことに、
僕はまだ毎朝ブランド牛を産んでくれる魔法の牛を飼えていないので、
いいお肉がグーゼン冷蔵庫に入っていることは滅多にない。
今回のお歳暮というのも、ちょっと縁あった企業が送ってきてくれたもので、
全く想像もしていなかったし、今後も期待できるものでもない。
だからこそ、こんなお肉はすき焼きにしなくちゃいけない。
実のことを言えば、しゃぶしゃぶにするかすき焼きにするかで迷った。
好みで言えばしゃぶしゃぶの方なんだけど、
すき焼きになったのは彼女の意見が決まり手だった
(僕の食べる物はこういう風に決まることが多い)。
でも、しゃぶしゃぶを食べるなら行きたいお店もあるし、
書いたように、いいお肉ってのはやっぱりすき焼きにしなくちゃいけない。
すき焼きを食べるっていうことは、暮らしの中の幸運のあらわれで、
「ちょっといいことあったね、うれしいね」、の確認なんだ。
そんなことを、まだ食べる前から考えている。
(すき焼きパーティの日程は2週間先に決まりました。)