病気と復職の間で
主治医からは、入院している時から退院したらいつでも仕事に復職して良いよと言われていた。
退院から早4ヶ月。手術の経過も問題なく、MRIの検査も今のところ問題なく、血液検査も異常なし。医者として復職を止める理由は何もない。
それでも、わたしは復職できないでいる。
入院しているときには、退院したらリハビリがてら美術館や博物館、旅行に行ったり買い物をしたりしようと考えていたのだが、退院したら益々コロナは深刻になっていた。緊急事態宣言が出され、これは外出どころではない。この4ヶ月、私が行ったところといえば近場のショッピングセンターと公園。電車にはまだ1度しか乗っていない。
コロナのせいで思うようにいかない社会復帰への準備。コロナのせい。せれは紛れもない事実である。でも、本当にコロナのせいだけなのか。
どうして復職する気になれないのか。
私には、普通に仕事をしていた時がまるで遠い世界の話のように思える。その夢をみているような漠然とした遠い世界にまた自分戻っていくというのがどうもイメージできない。今までとは全く違う世界に今立っているのに、そこに「戻る」のかなんなのか。他人事のようにすら思えてならない。復職したいはずなのに、なのにずるずるずるずると休職期間を引き延ばしている。
退院してからずっと思っていることがある。
私、今何してるんだろう。
31歳。友人からは結婚や出産の報告が立て続けにあった。みんなは自身のキャリアを積み、自分の家庭を築き、子育てをし。なのに、わたしは仕事もせず、一人暮らしの家も引き払って実家に出戻り、ただ何をするでもなくぼーっと1日を過ごしている。ときには癇癪を起こし、母の前で感情を爆発させ、鼻水を垂らしながら号泣をしている。
わたし何やってるんだ。
恥ずかしい。惨めだ。
私はこの病気のことを家族以外には誰にも言っていない。職場にも脳腫瘍とだけしか伝えていない。まぁ、悪性だったってことは察知されていると思うが、具体的な病名は告げていない。
友人にも、ちょっと手術して、ということしか伝えていない。
入院時、看護師から「コロナじゃなければ友達とかにお見舞いにきてもらえるのにねぇ・・・」といわれ驚愕した。
お見舞い。
O・MI・MA・I
それは考えなかった。周りの人に病気のことを必死に隠そうとしていた私は、誰かにお見舞いに来てもらうなんて考えもしなかった。世の中の人は自分が病気だと分かったらすぐに友人に伝えるのだろうか。わたしは可能なら手術したことも、病気になったこと全て隠し通せるなら隠し通したかった。誰かに私病気になった、と伝えることなんて考えられなかった。隠したかったし、今でも隠している。
病気のことを何て伝えるのか。伝えたらどうなるのか。きっと、少しでも今までの日常を残しておきたいのだと思う。しれっと今まで通りの顔して久しぶり、とあいさつすれば病気になる前と何ら変わることのない日常があるような。しれっと日常に入れる合流地点となるのだと。そんな期待をもって。世の中はコロナ流行。人との接触を立っている時代だ。病気になる前から友人たちとはオンライン以外では会っていない。会わなくても何ら不自然さはない。だからこそ、コロナが収まったとき、しれっと戻ればそのまま何も気づかれずに日常が続くのではないか。
未だにもどることのない「日常」に執着して、一歩も前に進めないでいる。
もう4ヶ月。こんなことしてたらあっという間に32歳になっちゃうよ・・・と思いながら、未来が当然あると信じている自分を知る。と同時に、私に3年後なんてあるのかな・・・などと考えて馬鹿みたいに落ち込む。
もうぐちゃぐちゃでがんじがらめでどうしようもない。
仕事はわたしにとっての「日常」の代表。遠すぎて本当にそこに自分がいたのか、もうわからない。きっともう、そこは私にとって戻る場所ではなくなっている。じゃぁ、なんなんだ。
と、ここで当時の記録はとまっています。
とにかく泣いて、喚いて、絶望して。拒絶する私を抱きしめ続けてくれた母親には感謝しかありません。
結局1年の休職期間を経て職場に復職しました。