見出し画像

<全米ヒットチャート:#21-30 Collection>#008 「あたしのボーイ・フレンド」や「アフター・ザ・ラヴィン」を紹介しつつ、1950年代脱出! ついでに「バレッタのテーマ」

<「あたしのボーイ・フレンド」と「セット・オン・ユー」>
今回も、最高位21位の曲の紹介から始めます(「最高位21位の曲の紹介」がこの記事のテーマなのですが、ついつい、いろいろと脱線してしまいます)。

最高位21位 9曲目 (755)
Fireflies - You Were Mine (1959)

最高位21位の9曲目はwhite doo wopグループ、Firefliesの「You Were Mine(#21-0009(755))で、1959年10月26日付から2週連続で最高位21位までヒットチャートを上りました。

このグループはペンシルベニア州出身のシンガー、ソングライター、レコードプロデューサーのGerry Granahanが結成したグループですが、Fireflies以外に結成したグループ、Dicky Doo And The Don'tsでもHot100以前に、Top100で1958年3月10日付で最高位28位となる「Click-Clack」のヒットを出しています。

また、そのGerry Granahan本人は、Hot100以前に1958年6月30日付で最高位23位を記録した「No Chemise, Please」のヒットを持っています。

The Angels - My Boyfriend's Back (1963)

レコードプロデューサーでもあったGerry Granahanは、後にDotやParamountのvice presidentにまでなりますが、彼が興したCaprice Recordsに所属した、ニュージャージー出身女性ポップ・トリオ、The Angelsは、「'Til」(邦題:愛の誓い)を1962年1月6日付で最高位14位、「Cry Baby Cry」を1962年4月7日付で最高位38位とヒットさせます。

ただ、The Angelsは「Cry Baby Cry」のヒットの翌年にSmash Recordsに移り、1963/08/31日付から3週連続のNo.1を記録する「My Boyfriend's Back」(邦題:あたしのボーイ・フレンド)の大ヒットを飛ばします。

James Ray - I've Got My Mind Set On You - Pt. I Pt. II (1962)

Capriceにはもう1人、ワシントンDC出身のR&Bシンガー、James Rayが、「If You Gotta Make A Fool Of Somebody」を1962/01/27日付で最高位22位、「Itty Bitty Pieces」を1962年5月12日付で最高位41位、とヒットさせます。

「If You Gotta Make A Fool Of Somebody」は、Maxine Brownの「If You Gotta Make A Fool Of Somebody」が1966年1月22日付で最高位63位までのヒットとなるなど、さまざまなアーティストにカバーされています(Aretha FranklinやJackie DeShannon、Ronnie Woodなど多数で、The Beatlesもライブで演奏していたとのことです)。

James Rayには、これらの2曲が収録されたセルフタイトルド・アルバム「James Ray」(1962年リリース)が唯一のアルバムとして残されていますが、そのアルバムに収録されている「I've Got My Mind Set On You - Pt. I Pt. II」は、後に、George Harrisonが曲名を「Got My Mind Set On You」(邦題:セット・オン・ユー)としてリリース、1988年1月16日付でNo.1としました。

Betty Everett - The Shoop Shoop Song (It's In His Kiss) (1964)

なお、これら3曲のソングライターはRudy Clarkで、彼は、「The Shoop Shoop Song (It's in His Kiss)」や「Good Lovin'」(この曲はArtie Resnickとの共作)などのソングライターとしても知られています。

「The Shoop Shoop Song (It's in His Kiss)」は、1960年代は特に多くのアーティストにカバーされている曲ですが、当初、Merry Claytonによりレコーディングされ「It's in His Kiss」として1963年にリリース(アレンジャーはJack Nitzsche。ドラムスはHal Blaine、コーラスはThe Blossomsといわれています)。その後、Betty Everettにより「The Shoop Shoop Song (It's In His Kiss)」(邦題:シュープ・シュープ・キッス)として1964年4月11日付から2週連続で最高位6位といったヒットになりました。

チャートインした他のシングルは、Kate Taylor(James Taylorの妹)の「It's In His Kiss (The Shoop Shoop Song)」が1977年10月08日付で最高位49位、Cherの「The Shoop Shoop Song (It's In His Kiss)」が1991年1月19日付で最高位33位を記録しています。この曲も、 1960年代にThe HolliesやThe Searchers、The Swinging Blue Jeansといったビートグループがカバーしたり、1970年代には、イギリスのシンガー、Linda Lewisの「It's In His Kiss」が1975年にリリース、UKでトップ10ヒットしています。

Merry Clayton - Gimme Shelter (1970)

ところで、Merry Claytonは、ルイジアナ州ニュー・オーリンズ出身のセッション・シンガーであり女優。Ray Charles With The Raylettes/The Raeletsにも在籍しました。ソロでも活動。セッション・シンガーとしては、The Rolling Stonesのレコーディングでの話が知られていますね。レコーディングも終わりかけていた「Gimme Shelter」に女性のボーカルを入れたいというアイディアが浮かんだプロデューサーのJimmy Millerの指示で、Jack Nitzscheが彼女を夜中にロスアンジェルスのスタジオに呼び出し、Mick Jaggerとの素晴らしい共演が実現したということです(映画「20 Feet From Stardom」(2013年)(邦題:バックコーラスの歌姫たち)でも、Merry Clayton本人とMick Jaggerがこのエピソードについて語っています)。Merry Claytonも「Gimme Shelter」をリリースしていて、1970年7月18日付で最高位73位になっています。

(Merry Claytonのヒットで最高位は45位。2曲、TVドラマ「Baretta」(1975-1978年)(邦題:刑事バレッタ)から「Keep Your Eye On The Sparrow」(邦題:バレッタのテーマ)が1975年9月20日付で、映画「Dirty Dancing」(1987年)から「Yes (From The Motion Picture "Dirty Dancing")」が1988年4月23日付で、それぞれ、最高位45位を記録しています。ちなみに、「Baretta」の主題歌は、プロデューサーがMike Curbで、Sammy Davis Jr.が歌った「Baretta's Theme」(1976年)(邦題:バレッタのテーマ)がリリースされています。)

<The OlympicsとThe MarathonsとThe Vibrations>

The Olympics - Good Lovin' (1965)

「Good Lovin'」もさまざまなアーティストに取り上げられています。最初にヒットチャートに入ったのは、The Olympicsの「Good Lovin'」(1965/05/22日付から2週連続最高位81位)。そして、The Young Rascalsの「Good Lovin'」は、1966年4月30日付で栄えあるNo.1に輝いています。

The Young RascalsおよびThe Rascalsは、今後、この連載のなかで取り上げることがあると思いますので、今回は、The Olympicsについての補足を。カリフォルニア州出身のR&Bボーカルグループ、The Olympicsの最大のヒットは1958年9月15日付で最高位8位の「Western Movies」です。

The Olympics - (Baby) Hully Gully (1959)

The Olympicsは、この他にもヒット曲があり、そのうち、1960年2月22日付で最高位72位になった「(Baby) Hully Gully」は、The Olympicsがオリジナルですが、The Beach Boysのアルバム「Beach Boys Party!」(1965年)の1曲目に収録されている「Hully Gully」で知ったリスナーも多いのではないかと思います。

The Marathonsの「Peanut Butter」(1961年6月19日付で最高位20位)は、この曲と同じメロディーに、新しく歌詞をつけたカバーで、J. Geils BandやBilly Vera and the Beaters(「Peanut Butter」)などを含め、多くのアーティストにカバーされています。

The Marathons - Peanut Butter (1961)

なお、The Marathonsの「Peanut Butter」は、The OlympicsのレーベルであるArveeが、The Olympicsがツアー中だったため、別アーティストにレコーディングさせる目的でChess Records傘下のArgo labelにいたThe VibrationsにThe Marathonsの名でレコーディングさせ、リリースしたシングル(品番:Arvee 5027)です。Arveeに対し訴訟を起こし勝訴したArgoからは、アーティスト名をVibrations Recorded as Marathonsとしたシングル(品番:Argo 5389)が同年1961年にリリースされています。ちなみに、Hot100には、1961年4月24日付から1961年7月10日付までの12週でチャートインしていますが、チャートインしたシングルの品番はArvee 5027でした(拙稿#007で、The Crystalsの「He's A Rebel」をThe Crystalsが歌っていなかった(Darlene Loveが歌っていた)ことに触れましたが、当時はいろいろなことが起きていたということですね)。

The Olympics - Dance By The Light Of The Moon (1960)

なお、Hully Gully(ハリー・ガリー)は主に1960年代に流行ったダンスのひとつで、この時期(1960年代初頭)にThe Olympicsの曲以外にもHully Gullyのワードを使った曲名の曲が多いのはそのためです。そんなわけですが、The Olympicsで「ダンス」といえば、1961年1月2日付で最高位47位の「Dance By The Light Of The Moon」も捨てがたいので、紹介をしておきます。

(ハリー・ガリーですが、その40年ほど前の20世紀初頭にアメリカのジューク・ジョイントで当初流行ったダンスだとする説もあるようです。ちなみに、ジューク・ジョイントとは、主にアメリカ南東部にあった、主にアフリカ系アメリカ人が経営する、アルコールや音楽、ダンスを楽しむための酒場のことで、バレル・ハウスと呼ぶこともあります。)

Bobby Lewis - Tossin' And Turnin' (1961)

Firefliesは、この曲の他には、The Fireflies Featuring Ritchie Adamsでの「I Can't Say Goodbye」(1960年1月25日付から2週連続で最高位90位)というヒットがありますが、この曲でフィーチャリング・アーティストとしてクレジットされているRitchie Adamsはソングライターとしても活躍し、Malou Renéと共にペンを執ったBobby Lewisの「Tossin' And Turnin'」(邦題:トッシン・アンド・ターニング)は1961年7月10日付から7週連続No.1となる大ヒットとなりました。この「Tossin' And Turnin'」は、Year-end ChartのPop Singlesで、1961年のNo.1になっています。

<エンゲルベルト・フンパーディンク MBE>

Engelbert Humperdinck - After The Lovin' (1976)

そのRitchie Adamsですが、1960年代後半には、アダルト・コンテンポラリー・シンガー、Ronnie Doveの「Happy Summer Days」(1966年7月23日付から2週連続で最高位27位)をWes Farrell、Larry Kusikと共作で提供、1970年代には、イギリスのポップシンガー、Engelbert Humperdinckの「After The Lovin'」(邦題:アフター・ザ・ラヴィン)(1977年1月22日付で最高位8位)を共作(歌詞はAlan Bernstein)で提供、それぞれヒットしています。Ritchie AdamsとAlan Bernsteinの共作のHot100ヒットとして、Adult Contemporary チャートも賑わせた、Engelbert Humperdinckの「Goodbye My Friend」(1977年7月16日付から2週連続で最高位97位)と「This Moment In Time」(1979年1月20日付で最高位58位)を確認できます。

ところで、拙稿#007で触れたPat Booneともご健在ですが、ちなみに、Engelbert Humperdinckも御年88歳も、いまだ現役、ご健在のようです!(公式サイト:
engelbert.com
)(お断り:ご健在情報は、適宜、発信します & 発信しないことも多いと思います。)

<次回、ついに1960年代に突入!>
さて、今回紹介したFirefliesの「You Were Mine」が1950年代最後の最高位21位の曲でした(ということで、1950年代は最高位21位の曲は9曲でした)。

さらに1960年代に突入!と行きたいところなのですが、最高位21位10曲目からのラインアップを先にお知らせすると、Bobby Darin 「Clementine」、Henry Mancini 「Mr. Lucky」、Harold Dorman 「Mountain Of Love」、Fats Domino 「Don't Come Knockin'」、The Everly Brothers 「Lucille」、The Platters 「To Each His Own」と、ビッグネームや有名曲が目白押しになっていて(それが最高位21位曲の良いところかも)、とても書ききれないので、次回に書くことにします。
また、今回は触れられなかった同時期のNo.1についても次回に書きますね。

では、また!

いいなと思ったら応援しよう!