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ジャズ界の巨人『チャーリー・パーカー』その人生を振り返る!

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大学に入ったばかりのある日、ラジオをつけると流れてきたのは、チャーリー・クリスチャンの曲だった。全くジャズと言うものを知らない私だったが、この音楽にのめり込む。番組で話を聞くと「ミントンズハウスのチャーリー・クリスチャン」のレコード、そう説明していた。すぐ大学近くのレコード店にゆき、買った記憶がある。その日から毎日このLPをかけ、さらにジャズ喫茶にも通い始めた。

*巨人といわれるパーカー!
ジャズと言えば、誰もがまずハマるのがビバップの創始者Cパーカーと言えるだろう。学生時代、YouTubeや動画コンテンツなどは無い。あるのはラジオ放送とジャズ喫茶で聴くジャズだった。そこで興味を持ったのはチャーリー・パーカー。今まで聞いたことのないスリリングなアドリブに心を掴まれてしまう。生活は一変し、ジャズ三昧の日々が始まった。

パーカー以前のジャズ、ビッグバンド編成のスイングジャズがほとんどだった。譜面があり、和音に基づいて曲が作られている。人々はこのジャズでダンスをしたとされる。これを根底からひっくり返したのがパーカー。不協和音をとりいれ、今までの形式を根っこから変えたのだ。不安定感が心を揺さぶり、ヒトを虜にしていく。いわば踊るための音楽から聴くための音楽に変わったということである。

*愛称のバード、その由来とは?
これは諸説あるようだ。①「ヤードバード」とも呼ばれていたため、これを元とする考え。YARDは庭、ここで練習に明け暮れたことによるもの。②パーカーは無類のチキン好きだったことによるとする説。フライドチキンやグリルチキンをよく食べていたと言う。③演奏が鳥のように自由で軽やか!そこから名付けたとする見方。これら3つだ。

私としては、①②③すべてを足した説とみる。チキン好きに呆れた人たちがバードと言いだし、その演奏も鶏みたい。さらに庭のなかで鳥のように練習をする。しかも深酒とクスリでいつもどこにいるかわからない。まるで鳥のようだ!そう考える。

*少年時代のCパーカー!
子供の頃のチャーリー・パーカー、特に才能があったわけではなかった。ただし、13歳くらいからはジャズプレイヤーに憧れたようだ。特に気に入ったのはレスター・ヤングとヘンリー・スミス。2人は、パーカーよりは10歳以上の年長のサックス奏者だった。パーカーが15歳前後のころには、アメリカ国内で人気絶頂だったのだ。

「COOL」という言葉が「かっこいい」という意味になったのは、レスター・ヤングの演奏から来ているという。もともとは「涼しい」という意味しかない。これが次第に「爽やかな雰囲気でおしゃれ」になった。歌手のビリー・ホリデイ、このレスターを「最もハンサムな男」と言っている。全米中でいわばアイドル的存在でもあったと言えるようだ。だがパーカー、この時まだ演奏もままならなかった。

*伝説となったパーカーの行動
パーカー、1日15時間以上の練習をしていたというから尋常ではない。食事や就寝時間以外はすべて訓練しててきたということだ。金管楽器のサキソフォン、かなり音が大きい。このため、庭(ヤード)で鳥の如く演奏する、その姿は目に浮かぶようだ。

一方で、仲間うちの練習では居眠りをしたり欠席も多かったという。ほとんどリハーサルは真面目に取り組まなかった。だが、いざ本番となると、誰よりも完璧な演奏をおこなったと言う。この辺り、常人の域を超えているところだろう。

*生活は荒れ放題だった!
深酒のうえ、麻薬にも手を出した。金を使い果たし、住む場所もなくしたと言う。そんなとき救い主が現れる。まだ若かりしマイルス・デイヴィス。父が歯医者で生活には困らなかったマイルス。マイルスにとってパーカーは憧れの存在である。パーカーはマイルスの家で一緒に暮らすようになった。

だが、やはり麻薬は止められない。マイルス不在時に、マイルスと私物を売って金にかえ、麻薬を買ったと言う。それはかなり頻繁に続いたようだ。初めは友好的だったマイルス。だが、いつしかマイルスの心は離れていく。ロサンゼルス演奏旅行帰りの飛行機代、これをパーカーは麻薬に変えたことで決別することとなる。

*まとめ
30代となったパーカー。体はもうボロボロだった。これを見かねたジャズは愛好家のパノニカ・コーニングスウォーター男爵夫人(愛称、ニカ)。ジャズメンの生活を支援する母親的存在だったという。彼女は、晩年(といっても34歳)のパーカーを引き取り、自分の暮らすホテルの一室で世話をしたとされる。

パーカーが亡くなったのは、このニカ夫人の部屋。検死に当たった担当医によると、体は60代70代の老人!そう表現している。だがパーカーの死により多くのジャズ面は気づいたようだ。麻薬に手を出すのがいかに危険なことかを…。マイルス・デイヴィスも自らホテルに篭り、麻薬から手を切ったと言う。わずか34歳の波乱に満ちた人生だった。

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