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親族で、東京タワー建設にかかわった人物について!プロジェクトX秘話

#プロジェクトX  #東京タワー #NHK #国家プロジェクト

親族で、もっとも名を残した叔父がいる。東京タワーの建設に携わったとされる人物。今でも語り草となっている。当時、日本を代表するこの建築物をつくったのが竹中工務店だった。

東京タワーは、1958年昭和33年12月23日に完成する。この時、わずか30歳の若者だった叔父。しかし、親族の中でも飛びきり頭が良かったそうだ。旧制中学を飛び級して、東京商科大学に入った。いまの一橋大学である。

もともとは、飛行機の技術者を目指したしていたという。学徒出陣の頃には、大学生もつぎつぎ戦地に送られていった。この叔父も、海軍の技官として、戦争にかかわることに…。

乗っていた戦艦が、魚雷をうけて沈む。叔父も、腕に穴があく重傷をおったという。ほどなく広島の病院にはいる。しかし、すぐに神奈川へ移された。どうも原爆の直前だったようだ。運が良かったというしかない。

そして、終戦。アメリカの占領下となった日本。飛行機の製造は、アメリカの方針で中止となる。そこで、仕方なく叔父は次の道をさがす。そうして入ったのは竹中工務店だった。

頭が抜群にきれた叔父は、竹中工務店でもすぐに頭角をあらわす!そして任されたのが、日本の大プロジェクト、東京タワーの建設だった。どうも、鉄骨の現場責任者だったようだ。

仕事は、深夜の1時2時に現場にでかけ、当日に組み立てる鉄骨に、すべて番号を記入するというもの。似たようなサイズの鉄骨、一見しただけでは、どれがどの部分か!はわからない。もし間違えれば、建設スケジュールが大幅に狂ってしまう。それを防ぐ役目だった。

竹中工務店の社員が、会社に出社する時間には、その叔父は新聞を読みながら、コーヒーを飲んでいたという。それを見た社員らは、〇〇はのんきでいいな!と口々に言ったそうだ。

この話しは、社内でも広く知れわたり、〇〇そんなに暇なら建設現場の撮影をしてくれないか!という話が来たようだ。この叔父、根ッからのカメラ好き。喜んでこの話しをうけたという。

今にのこる東京タワー建設途中の写真。これ、すべてこの叔父のものだという。また、竹中工務店は動画も残している。この撮影も、この叔父がしたようだ。

いくら撮影のプロがいたとしても、剥きだしの鉄骨に登り、地上100メーター200メートルのところでの撮影は無理だ。この叔父、普通の革靴で、撮影していたというから、さらに驚く。

どうさがしても見つからないのだが、当時の毎日グラフの表紙ににこの叔父の写真が掲載されていた。私も数度見ただけだが、革靴の間から、東京タワー4本の足が見えるというモノ。強風のテッペンで、なんの命綱もつけなかったというから、驚きというしかない。

東京タワー竣工のあと、この叔父を悩ませたことがある。なんと、郷里の田舎から、この叔父を頼って、見物客が毎日毎日きたという話しだ。優先的に…ただで見たい…という人たち。これには、少々辟易したという。

この叔父は、怖い人物として、親から聞かされていた。私としては、まともに会話はできなかった。ただ、晩年は孫を連れてよく家に遊びにきていたので、いまでも懐かしく思う。

うちの一族にとって、俊才はこの叔父一人といってよい。いまだに親族が集うと、この話しが出てくる。NHKプロジェクトXでは、建設現場での鳶の人たちに焦点が当てられていた。この叔父の話しは、全くなかった。ただ、そこで使われていた写真や動画、これこそ、この叔父の残したモノ。そんなことを考えながら、番組をみた記憶がある。

2024年夏から始まるプロジェクト!
前回の東京タワーの話しは、2000年9月5日に放送された『東京タワー恋人たちの戦い』。鳶の若頭25歳の桐生五郎と、現場監督の31歳竹山正明。東京タワー建設の話しと、この2人の結婚の話しをうまくミックスさせて、ストーリーが展開されていく。

この2人の人物は、竹中工務店の人間ではなく、子会社か!孫会社だったと思う。私の叔父も、当時30歳で、結婚したばかりだった。多くの若者がつくったとされる東京タワー。日本の底力を見せてくれたことで、日本人の士気は、おおいに上がったといえる。

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