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我が子を「飯が食える」ようにするには?
#生きるチカラ
#飯が食えるチカラ
#自立 #地頭
振り返ると大学卒業したというのに、まったく「飯が食える」人間ではなかった。小学中学高校と学校にはちゃんと通い、成績もそれなりには良かったのだが…。トンと「地頭」と言うものがなかった。一番イケなかったのは、金を稼ぐという発想がまるでなかったこと。なんとなく家庭教師をやり、なんとなくアルバイトで生活費を得ていた。将来の目標などというものをまるきり持っていなかったと言っていい。
*生きる意味を考える!
将来設計がないとダメと気づいたのは、30歳を過ぎてからのことだ。今回のテーマ、「飯が食える」と言うのは、自分で目指すところを決め、それに向かって進んでいくということ。いわゆる「ニート」 や「パラサイト」になる人たちは、これがないことが原因と考える。
これを学校の先生に求めるというのも筋ちがいと言える。なかにはそういった先生もいないではないが、大体はそうではない。理由はその仕組みにあると言っていい。学校行事が多すぎるのだ。そこに忙殺されてしまい、子供たちの「生きるチカラ」を育てるところまでは手が回らない。
著名な実業家や芸術家などには、学校に通わなかった方もかなりいる。学校はヒトを育てるところではなく、進学するための通過点。日本の教育は、やはり受験目的と言えるだろう。たしかに、ある程度の学力があった方が良いが、それがそのまま生きる力には直結しない。
*キーワードとしての「自立」
「飯を食う」とは、社会の中で生き抜いていくチカラを持つということである。これには⑴経済的自立 ⑵社会的自立 ⑶精神的自立、この3つの自立が必要ということだ。
⑴経済的自立は、現代において「金を稼ぎだすチカラ」と言い換えることができる。会社に勤めて働くことで金を得る!や、自分で起業して収入をえるでもいい。ポイントは相手の求めているものに対し、それをきちんと提供すると言うことである。会社員なら勤め先上司であるし、起業をしたら顧客への満足度をあげると言うことだ。
⑵社会的自立。家族や親族、友人、職場の同僚や上司や部下などとのコミュニケーションがこれに関わってくる。また住まい近くの人々との関係、これも大事。これらを円滑円満に対処できることが社会的自立につながる。困ったときにヒトに頼ることも、生きるチカラとなる。
⑶精神的自立。精神的な安定をいかに持続させるか!これが精神的自立と直結する。とにかく人は気分が上下しやすい。マイナスな感情にひきずられては物事の判断も鈍る。自分の責任で行動できるというのも、心の安定感があってこそと言えるだろう。
*学校で、自立が得られないのであれば?
その場合、親や「祖父母」か、「フリースクール」を選ぶことになる。英国ミステリー作家のアガサ・クリスティーや、米国発明家のトーマス・エジソン、さらに米国実業家のアンドリュー・カーネギー、彼らは家庭学習において生きるチカラを身につけた。
高校3年生のときに通った進学塾、そこで教えた講師がいった言葉が印象深い。「自分の子を自分で教える。学校に行くより、その方が息子のためになる」。この講師は、学校教育では社会で生き抜くチカラは得られないとハッキリ言っていた。
いま考えてみるると、講師のいっていた事は正しいと思った。自分の子にはそれができなかったのだが、もしやり直せるとしたら、学校以外の教育を施しただろう。さいわいにも運よく、自分の子はそれでも生き抜くチカラはえられたが…。
*まとめ
学力だけでは、生きにくチカラにはならない。ズバ抜けての学力があれば違うのだろうけれど、少しぐらい学力があるのではダメだ。それよりも、一つのことに集中し、目標を定め、周りの人とうまくやっていく!これこそ大事と言える。
現状では、教育改革は100年たっても無理だと思う。ほとんど政治が機能しない社会だからだ。だとすれば、自分たちでできることをすべきだろう。常にそれを頭に入れておくべきだ。子供をよく観察し、少しでも異常があるなら、学校へは行かせない。それが良いのだ。