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女優、高峰秀子。生誕100年、芸歴半世紀におよぶ大女優!

#高峰秀子 #中島誠之助
#松山善三 #市川昆
#河野一郎 #梅原龍三郎

最近になって、日本映画をよく観るようになった。ウェブ配信で過去の名作がいろいろ並んでおり、日々楽しんでいる。なんとなく気づいたことがあった。それは高峰秀子という女優の演技力。これには少々驚いた。というのも、映画ごとに全く違う雰囲気を醸しだしていること、並々ならぬ女優だと言うことがわかる。調べてみると、今年は「生誕100年」に当たるそうだ。

*高峰秀子、マルチな才能!
5歳で子役として映画デビュー、一家10名の生活を支えたと言う。忙しさにあまり、学校にはまともに通っていなかった。自分自身で本を読み漁り、教養を身につけたようだ。俳優でも絵を描く人は多い。高峰秀子も絵を描いたがそれだけではなかった。役者仕事のかたわらエッセイも書いている。

驚くのは、絵画でも、エッセイでも才能を持っていたこと。銀座で開かれたへの愛好会に参加(1949年)。翌年には日本橋三越の絵画展に出品すると、10号の絵画が現在価値にして43,000円で売れたと言う。このことで会の顧問をしていた巨匠・梅原龍三郎の知遇をえる。秀子は、梅原のモデルにもなり、その作品を買った。そして後年になると、惜しみもなく美術館に寄贈している。

エッセイを書き始めたのは、1953年から。仏国パリに滞在していたときのことを綴った「巴里ひとりある記』を刊行する。それ以後、様々なエッセイを書き続けた。1955年に監督の松山善三と結婚したが、松山の脚本を口述筆記したことで、さらに文才があがったようだ。1975年には、週刊朝日で『わたしの渡世日記』を連載。翌年に本として発刊されると第24回エッセイストクラブ賞を受賞している。

*古美術、陶磁器の愛好家!
高峰秀子は周りからいつも注目されていたが、それがかなり窮屈だったようだ。そんなとき、ふと町中にあった古美術店に入ったという。都心にあって、道には人が溢れている。ところが古美術店のなかに一歩はいると、誰もいない。秀子は、自分の「居場所」を見つけたと思った。

それからと言うもの、何かとあれば古美術店に入るようになる。そこの店主や店番とも顔見知りとなり、話をするようになったそうだ。自分の好きなものに出会えば買ったりもしたと言う。そんなことで知り合ったのが、テレ東の「お宝鑑定団」で有名となった中島誠之助(セイちゃん)。彼とのつながりで、高峰秀子は古美術販売店を始めたそうだ。

私も骨董商の免許は持っている。何回かは古美術商のセリ市に参加したことがあったが、その気迫に押され、何も買うことができなかった。秀子は、セイちゃんの勧めでセリ市にも参加した。びっくりするのは、初めて行ったその日にセリ落したこと。「アネさん(秀子のこと)さすがー!」。中島誠之助もこれには驚いた。

*商売抜きでの古美術商!
高峰秀子、引退すればただの主婦であり、エッセイストでもある。しかも、映画監督の夫がいるのだ。秀子にとっての古美術商は、一人でも、多くの愛好家を生み出そうとするものだった。セイちゃん曰く『「五客セットもの」をバラして売ったら儲かりません』。これに対し、若い人が買うにはそうするしかない!とした。

店の名前は?『ピッコロモンド』と言った。ピッコロが「小さい」でモンドは「世界」、つまり小さな世界。この古美術店の開店には、何から何まで中島誠之助がやってくれた。ベランメイ調のふたりは気があったようだ。とくに秀子は変わり者だった。そして、どんなものにもこだわるタイプ、好き嫌いがハッキリしていた。家庭での日用品でも、古美術でも、人間に対しても同じだったようだ。

*アネさん、エピソード!
1964年日本初の東京オリンピック、この映画を任されたのが監督の市川崑だった。しかし、完成前の試写会で、オリンピック担当大臣、河野一郎(河野太郎の祖父)から内容に不満があることがコメントされる。そこから大論争となった。映画会社としては、このまま市川崑に任せていいのか?議論となったようだ。

これを聞きつけた高峰秀子。市川崑への擁護発言をする。そして直接、河野一郎との面会を求め、話をしたそうだ。映画の良さを伝えると同時に、「市川崑と直接会って話をしてもらいたい」と…。このことで河野と市川は面談を重ね、結局映画は市川崑に任されたと言う。市川は終世アネさんに感謝したそうだ。

*まとめ
高峰秀子は、好き嫌いはっきりした人物だった。札幌生まれだが、「江戸っ子」とも言えるだろう。そのエッセイにも、それが随所に見て取れる。間違いなく、変人の類いだ。ただ、人一倍の勉強家でもある。そこが役者としての演技にも現れているところだと思う。

だいたい芸能人の書くエッセイは、ゴーストライターがいるものだが、これは間違いなく高峰秀子自身の書いたものと言える。あまりに文章が飛び抜けているのだ。こんな文章はプロのライターは書かない。正直で飾らない秀子の姿が、そのエッセイを通じてにじみ出ている。

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