大正ロマンを代表する芸術家「竹久夢二」、その足跡をおう!
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大正時代を代表する芸術家だった竹下夢二。現代においてもその輝きは衰えていない。1912年から26年のわずか15年だった大正だが、人々にとって大きな意味を持った時代でもあった。それは大衆文化の発展。都市に人々が集まりサラリーマンを中心とする市民層が形成された時代でもある。仕事場はビジネスオフィス、家は和洋折衷の応接間をもつ文化住宅。身につけるものは洋装であり、食べ物も洋食となる。電気、ガス、水道、鉄道などのインフラも整えつつあった。
竹久夢二は、17歳で単身上京し、18歳で早稲田実業学校に入った。すでにこの時から、自分の描いたスケッチを新聞社に投稿したというから驚きである。夢二の画は全くの独学であった。それにもかかわらず、人々の注目を浴びる。たぶん明治の終わり頃からヨーロッパからもたらされた芸術が日本に入り浸透していたと思われる。
*デザインの先駆者!
大衆文化が花ひらいていった時代。次々に雑誌が発刊されていく。その表紙画は夢ニに依頼しているのだ。直線や幾何学模様を中心とするアールデコスタイルで描いたもの。この辺りの感性には人並み外れたものを感じさせられる。いわば商業芸術の走りともいえるだろう。
イラストレーターであり、グラフィックデザイナーでもあり、さらには詩人でもあった。巧みに西洋の文化を吸収し、自分のスタイルを確立していったようだ。夢ニは、油彩作品も描いてはいるが、自らのことを画家とは言わず「絵を描くこと」を仕事にしていると言っていた。
*詩人を目指した夢ニ!
大正時代を代表する歌に「宵待草(よいまちぐさ)」という作品がある。「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな」。夢二が25歳で失恋したときの歌だ。発表したのは27歳のとき、雑誌「少女」6月号に掲載されている。この詩に、多忠亮(おおいただあき)が曲をつけ、歌となり流行した。
しかしこの作品が注目される以前に、絵画によって世間から評価されている。夢ニが詩人として人気をえたのは、その絵があったからだ。夢ニは次のように言っている「私は詩人になりたいと思った。けれど、私の詩稿はパンの代わりにはなりませんでした。ある時、私は、文字の代わりで絵の形式で詩を描いてみた。それが意外にもある雑誌に掲載されることとなったので、臆病な私の心は驚喜した」(夢ニ画集 春の巻)
*34歳での作品「黒船屋」
表具店の店主が、店内に飾る絵を頼みに来たことで、この絵はできたという。このとき夢ニ、最も愛していた女性「笠井彦乃」(ひこの)と別れさせられたばかりだった。しかもこの彦乃、余命いくばくもない結核にかかっていたのだ。夢ニはそれも知りつつ、この絵を描いたと言う。
女性が抱いている黒猫、これは自由のメタファー(暗喩)を意味する。彦野の父親に、無理矢理仲を引き裂かれたのだった。それを表すように、女性はやや流し目となり、あてもなく宙をさまようかのようでもある。彦乃と夢かは相思相愛の仲だった。互いに思いがあるもののどうにもならない。そんな背景もあらわしている。
*夢ニと三人の女性!
恋おおき男、それが竹久夢二といえる。三人とは、「たまき、彦乃、お葉」。竹久夢二の作品に出てくるのは、主にこの三人だ。まず22歳のとき、竹久夢二は岸たまきと恋に落ちる。翌年には結婚した。だが、2年後には協議離婚。その後も同棲したり、旅行に行ったり、別居したりを繰りかえす。
竹久夢二30歳。自分で経営していた店の常連客に、当時女学生だった彦乃(20歳)がいた。父の反対もあるなか、2人は結ばれてしまう。そうして京都で同棲するうちに、彦野は病に倒れた。これにより、この父は2人の仲を引き裂き、自宅に彦乃を引きとった。
その頃、ちょうど世間では「宵待草」が大ヒットしていた。この頃出会ったのが、お葉(16歳)である。この翌年に彦乃は23歳で没した。お葉のおかげで、また制作意欲をだす夢二だったが、さらに夢二は別の女性との恋愛沙汰もあり、このお葉も夢ニの元をさっていく。
*竹久夢二、第二の夢とは?
大正期の女性、その活躍には目覚ましいものがある。文学では、明治44年女性のみのスタッフで雑誌「青踏」(せいとう)が創刊される。女性の開放を唱えたものだ。平塚らいてうが記した「原始、女性は太陽だった」とは、女性の権利を確立した宣言ともいえる。
大正期に創刊した雑誌の表紙、挿絵、装丁を手がけたデザイナーの仕事も、夢二のもう一つの顔だった。竹久夢二は「生活と共にある新鮮で素朴な日用品をつくる工房」設立を目指していたという。しかし、そう夢は叶うことなく、昭和9年、49歳11ヵ月で逝去する。
まとめ
大正という自由を謳歌した時代を代表する人物、それが竹久夢二。その魅力はいまだに尽きない。女性とも数々の浮名を流した夢二だったが、逆にいえばそれほど女性も自由だったということだろう。しかし、この直後に昭和恐慌が起き時代を全く別のものになっていく。それを知っているだけに、大正にはふかくロマンを感じるということだ。