ドラマレビュー 小説レビュー 『娘の結婚』(2013)小路幸也
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ヒョンなところから、この作品を思い出した。ラジオで竹内まりや「人生の扉」という曲が流れ、すごく良い歌詞だと感じたこと。そこで早速ウェブ検索、するとエンディングテーマにこの曲が使われていたのだ。それがドラマ『娘の結婚』(2013)だった。そう! 10年前のことがよみがえってきた。
YouTubeで調べてみると、2024年4月頃からアップロードされている。今回また観たが感動がまた戻ってきた。そういえば、この作品で、テレビ録画もしたうえDVDにも焼いてあったようだ……。どうしても原作本も読みたくなる。私としては文庫本はどうも苦手。というわけで、メルカリで購入し読むことに。こちらもなかなか良い作品! 一つで2度も「別の味」をあじわった感がある。
10年前の当時、私はかなり小津安二郎監督の映画にはまっていた。そのなかでも一番好きな作品は『秋刀魚の味』。この映画にはタイトルのサンマは出てこない。さんまという魚、1尾丸ごと食べるが、腹わたの苦味もいっしょにあじわう。つまり美味さ(良いこと)とともに、苦さも人生にはあるということを暗示している。
*小津作品との関係
タイトルからして、小津安二郎を想起させられる。そもそも、このドラマをみた理由もそこにあった。案の定、主演に選んだのが、佐田啓二の息子である中井貴一だ。佐田は『秋刀魚の味』でも、父親(笠智衆)の息子役だった。そして中井に「貴一」と命名したのは、小津だと言われている。
小説の『娘の結婚』でも、小津安二郎という名前が出てくる。主人公の父娘が住んでいる家の居間のことを「小津安二郎監督の映画を、今からでも撮れる部屋」(P32単行本)としたのだ。この小説を書いた小路幸也(しょうじゆきや)。小津作品にかなり傾倒しているところがみて取れる。
小説の方には出てこなかったが、ドラマでは小津との関係を匂わせるものが出ていた。それは「鮭の切り身」。主人公、中井貴一は十数年前に妻を事故でなくし、それ以来、娘のために炊事をおこなっているという設定である。仕事帰りによく立ち寄るスーパー、そこで値引きとなった「鮭の切身」を買うのだ。娘と自分の2人分、つまり1パック入りのものである。これが物語の味付けもなっていた。
*『娘の結婚』あらすじ
色気のない娘(女優の波瑠)が結婚適齢期を迎えている。妻をなくしているため、親子(父娘)の2人暮らし。以前はマンションに暮らしていたが、妻を亡くしたことを契機に、実家にもどった。そう!自分の両親に娘を見てもらうために…。ところが移って数年で、両親を揃ってなくしてしまう。けっきょく自分が家事全般をすることになったのだ。
十数年前、妻が亡くなる前は、マンションに住んでいた。その向かいに住んでいた家族がいたが、すごく仲が良かったようだ。そこにいた一人息子と主人公の父親とは心を通せるものがあった。おたがい良い感情を残したまま、引っ越しをすることになる。
娘(波瑠)がたまたま恋人としたのが、この一人息子(満島真之助)。2人は話し合いで結婚するとまで決めていたのだ。あとは父親(中井貴一)に挨拶にいくだけ。ところがどうしたわけか!、父は時間を作ってくれない。そんな父にいろいろ策を練るんだが…。
父は、相手の母親に問題があるのでは!と心配する。自分では良い人物と思ってはいたが、昔のアルバムを整理するなかで気づいた。そこで色々と思案もし、旧友や昔の彼女に相談するのだが…。
*『秋刀魚の味』について
ネットフリックスで観れるので、たまに時間のあるとき視聴している。こちらも主人公の父親(笠智衆)は妻をなくし、家のことを娘(岩下志麻)に任せていた。しかし、結婚適齢期でもある娘。父親の友人で、娘に上司にあたる人物は、そのことを心配するが、父も娘本人もあまり気にかけない。
そんなとき旧制中学のクラス会が開かれた。仲間1人が、偶然に恩師と出会ったのがキッカケだったようだ。その恩師がいうには「生活のため、娘をいいように使ってしまった!」と悔やんでいるようだった。ここで父親も気づいたようだ。友人に勧められるまま、見合いの話を進めていく!
友だち同士の心のつながりが、よく描かれている作品である。娘を思う父親、そして父のことを心配する娘。しかし、父親の友人としても、このままではいけないことを本人に悟らせようとする。その思いやりがなんとも心地よい。
まとめ
ドラマ『娘の結婚』、父は友人に対して寂しくないとミエをきる。確かにそう振る舞っていた。しかし、仕事帰りにゆきつけのスーパーに立ち寄ったとき、割引の「鮭の切身」を目にする。一切れ入りのパックを手にしたとき、思わず目が潤んだ。
小説『娘の結婚』では、最後の場面、大学時代の友人が家に訪ねてくる。その友人、他人の家というのに、自分の家のごとくに振る舞った。亡くなった妻の位牌に焼香と手を合わした後は、風呂まで入る。また慰めにきてやる、そうあから様に言われると、主人公は「お前、また飯を食いに行きたいんだろう」と驚けてみせた。
この作品、ストーリーはほとんど誰もが経験することを丹念に描いていたものだ。小津安二郎でも、同じことなのだが、その会話のなかに、人間同士の思いやりが溢れ、心を豊かにしてくれるものがあった。人生とはつまり、そういう些細なことの積み重ねだということだろう。
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