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[ jazz ] 『ブルーノート・レコード』その歴史と、現代に伝える魅力とは?

#ジャズ #jazz    #ブルーノート
#ブルーノート・レコード

中学生の時は、主にクラシック音楽、モーツァルトやベートーベンなどを聴いていた。それが高校2年生になってジャズにハマってしまう。ラジオで流れていた曲に心を奪われたのだ。それは「ミントンハウスのチャーリー・クリスチャン」。音源は最悪なものだったが、そのアドリブには引き込まれた。これ以降は、聞くのは全てジャズとなる。

大学の4年間、自分の周りから流れる音楽はジャズ一色。ラジオも聞くのはジャズ番組ばかり。レコード盤も200枚ほど集めたと思う。バイトで稼いだお金、そのすべてを注ぎ込んだと言っていい。友人とジャズ喫茶にいって、いま流れている曲のプレイヤーをズバリ当てることができる!それほどだった。

*ブルーノートの特異性!
ドイツ人のジャズ愛好家が商売抜きで、自分の好きなジャズを求め、レコード会社を設立した。ちょうど30歳になったばかりのアルフレッド・ライオンは、1939年の1月にブギウギ・ピアノの初レコーディングをする。演奏したのは、ミード・ルクス・ルイスとアルバート・クリフトン・アモンズの2人だった。

この会社に翌年、ドイツ時代の友人で写真家のフランシス・ウルフ(31歳)が加わった。ライオンがプロデューサーとしての仕事、ウルフは経理と写真を任された。2人とも大のジャズ好き。自分の耳で聞いて、これと思ったミュージシャンと交渉、録音をしていく。

そもそも初めから売上げどうのとは思っていない。あくまで好きだからやっている!そういうスタンスだった。ビジネスマンとしては全くの素人。だが、自分の耳には自信があったということだ。次々に新たな人材を発掘していく。

*拾いあげた人材!
ピアニストのセロニアス・モンク。独特の感性により音を紡ぎだす。まさにモンク節と言ってもいいだろう。しかしこれでは売れるはずはないと、大手レコード会社は考えたようだ。もしブルーノート社が使わなかったら、モンクが偉大なジャズメンの一人にはならなかったと言える。

ドラマーのアート・ブレイキー。少年時代は炭鉱で働いていたという。しかもドラムの技も独学だった。このブレイキー、1954年からリーダーとして、ジャズバンド「ジャズ・メッセンジャーズ」を引っぱっていく。このブレレキーに目をつけたのがライオンだった。1954年から1955年にかけて5枚のLPを制作している。

*ジャケットの斬新さ!
ブルーノート・レコードのジャケット、一目でわかるほどモダンなデザインとなっている。これは1954年に入社したリード・マイルスによるものだ。経営者の2人がドイツ出身とわかると、ドイツにあったバウハウス・デザイン学校のモダニズムを取りいれたと言う。

ブルーノート社で生産されたレコード番号、1500番台と4000番台の初めのものは、リード・マイルスによってデザインされた。この1500番台の中から傑作シリーズは誕生している。他にない音楽と、独特なブルージーなジャケットにより、いくつもの銘盤が生まれた。

*レコード仕様の変化!
20世紀の初頭まで、レコードと言ったらSPだった。それが戦後1948年よりLPになっていく。この変化はブルーノート社にとっては機材を変えなくてはならなくなり、財政的にはかなりを負担だったようだ。それでも金策を重ねレコードをつくっていった。

さらに1950年代半ば過ぎから、ステレオ録音となっていく。レコーディング・エンジニアのヴァン・ギルダーも経営者の2人にステレオ録音をすることを勧めだという。1957年の3月の事だった。これによりこれ以降の作品はすべてステレオ録音で作品が残っている。

ヴァン・ゲルダも天才と言われたエンジニアである。優れた録音により、当時のジャズマンの音を現在に忠実に届けてくれる恩人ともいうべきヒトだ。このゲルダーもブルーノートの顔ともいうべき人物と言える。

*ブルーノート社の終焉!
当時のアメリカでの商慣習には少し変わったところがあった。ヒット作をレコード会社がつくると、支払いは次のヒット作の時になるというもの。1964年にリリースしたリー・モーガンの「ザ・サイド・ワインダー」が大ヒットしすぎたのだ。これによりブルーノート社は一度倒産してしまう。

立て直すものの経営者のライオンはブルーノート社を米リバティー社に売却、経営からは退いた。つまり、これにより趣味人で好事家がいなくなったと言うことだ。ブルーノートの良さは、ライオンやウルフの目利きであり、先進性にあったと言っていい。その後ブルーノート社はヒップホップ・ミュージックで知られるレベルとはなったが、全く別のものになったと言える。

*まとめ
ジャズ、今ではYouTubeなどでいつでも聴ける音楽だが、昔は聞くのにも苦労したものだ。ジャズ喫茶にゆき、まず自分のお気に入りをリクエスト、そしてそれが流れ聞き終わったら店を後にする!そんな感じだった。

いまだにブルーノート・レコードはよく聞いている。そして自分の部屋にはジャケットは飾ってある。聞くたびに、見るたびに当時のことを思い浮かべるのだ。あのコーヒーの香りとともに…。

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