俳優の火野正平(75歳)、この11月14日に逝去!どんな人物だったのか、見ていこう!
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毎回観ていたBS NHKの番組「日本縦断 こころ旅」。自転車に乗り日本全国を旅する番組である。この番組に、足掛け13年間出ていたのが俳優の火野正平。ゆく先々で地元のヒトと交流する。その姿に好感がもて、火野が多くの人々から慕われる理由がわかった。今月14日に急逝したという。75歳だったと言うから、決して短命ではないが、テレビで元気な顔を見ていただけに少々おどろいた。
*稀代のプレイボーイなのか?
火野正平というと、1970年代後半から1980年代にかけて「女たらし」の代名詞で知られた人物だった。毎週のように週刊誌にその名前が取りあげられ、プレイボーイとして知らない人がいなかったという。30代の火野正平、付き合った女性芸能人は、10人近くにのぼったようだ。小鹿みき、西川峰子、染谷まさみ、ホーンユキ、進藤恵美、紀比呂子のほか、一般女性もいたとされる。
しかし、どうもこれは所属事務所によって流された情報とおもわれる。「女たらし」の意味は、女性を欺くや女性を誑かすをあらわす。しかし火野正平とつき合った女性は、誰一人彼のことを悪くいう人はいない。しかも1971年に一般女性と結婚、その後は別居となったが、この女性との籍は死ぬまで続けられていたのだ。つまり、火野正平の話は、どうも事務所によって作られたもの、そんな風にも見ることができる。
*火野正平、芸名の由来は?
「劇団こまどり」12歳の頃にはいった。そのときの芸名は、二瓶康一。本名をそのまま芸名にしたと言う。子役としてテレビドラマに出たが、24歳のときに新たな芸名になった。それがこの火野正平。この名前を考えたのは、時代小説で著名な池波正太郎だった。NHKは、より人気のでる俳優を欲しがり、事務所に新たな芸名にするよう依頼したとされる。
苗字の「火野」、もとは「日野」である。日野の由来は、由緒ある公卿・藤原資業(すけなり)の流れをくむ。あえて「火」の文字にすることで「燃える男」のイメージを加えた。「正平」は、作家・池波自身の「正」の文字を使い、「ただしく、たいら」なる人物をあらわしている。この名前を変えたことと、さらに数々の女優や歌手との「浮き名」により、火野正平は瞬く間ににその知名度はあがった。
*火野正平を更生させる会?
そもそも男から見ると火野正平、女にうつつを抜かす、とんでもない人物と見られていた。そんななか、テレビドラマ「新、必殺仕置人」に火野正平は役を与えられる。1977年に始まった第5シリーズだ。共演者は、山崎努と中村嘉葎雄。この2人がつくったのが「火野正平を更生させる会」である。
名称はそうだったのだが、これは単なる悪ふざけ。火野正平によると、この2人から一度も説教された事はなかったと言う。たんに飲み会につけた名称だったのだ。かえって、山崎と中村は酒席で口論になることが多かったと言う。逆に止めに入ったのは火野正平の方だった。
*火野正平、そのモテモテ理由とは?
NHK BS「こころ旅」を見てもわかるのは、いつも自然体でユーモアを交えて話すその姿だ。嫌味というものがまるでない。カラッとした話し方でいて、けっこう人には気をつかう。とにかくコミュニケーション能力が抜群だった。
この「こころ旅」、観ているだけで心を和ませてくれる。ホンワカした空気が茶の間にも伝わってきた。天性のものなのか?それとも人との交流で身に付けたものなのか?よくわからないが、多分どちらも影響したのだろう。そんな火野正平、女性が放っておくはずは無いのだ。
*火野正平の死因とは?
今年(2024年)夏、腰の骨を折ったと言う。もともと腰痛持ちだったようだ。事故でなかったと見られるが、そうだとすれば「骨粗しょう症」が考えられる。この病気、女性に圧倒的におおい。ただし男性でも、酒やタバコそして薬の摂取でなる人がいる。大量にとることでそのリスクが増すようだ。火野正平はチェインスモーカーだった。聞くところでは、1日100本(5箱)も吸っていたとされる。
さすがに昨年(2023年)からは控えたと言う。しかし止めたからといって、急に体が良くなるわけではない。積もり積もったものが影響したと考えられるのだ。男性の場合、「骨粗しょう症」になると、予後が悪くなるという。つまり、死のリスクが増すのだ。
*まとめ
BS NHK「こころ旅」。訪れた町まちで、地元の人々と交流する。女性と握手するときは、「妊娠するかもしれないヨ」の一言。いつも茶目っ気たっぷり、人気者の芸能人だった。そんな火野正平の笑顔が、頭にこびりついているのは私だけだろうか。ご冥福をお祈りする。