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日本人の道徳律の源泉『武士道』、新渡戸稲造に学ぶ!


#新渡戸稲造 #武士道
#日本史   #セオドア・ルーズベルト

父方の祖母がいうには、うちは士族の出なんだとか…?祖母は山形の出身、父方の祖父は水戸徳川家につかえていたらしい。士族自体に、どれほどの価値があるのかはわからないが、そうだとすれば、武士としての教養は積んでいたと思われる。

江戸時代の武家社会においては、どこの藩でも学校を備えていた。武士たるもの、一応はその国をおさめる義務がある。学問は不可欠というところだろう。そしてもう一つが心の持ち方だ。人には品性というものがある。学ぶこととこれを高めなくてはならない。それが藩という組織には必要だった。

明治維新により、各藩は取り潰された。多くの武士は路頭にまよう。そこでえた職業というのは、主に役人だったようだ。地方の行政官から教員、警察官などになったものは多い。父の実家では、そのほとんどがその職についている。

*『武士道』を書いた経緯
学業については優秀だったようだ。そのうえ英語も堪能だったという。そこで当時先端の学問の場だったアメリカを目指した。入学したのがジョンズ・ホプキンス大学。
もう一つ新渡戸で特筆すべきは、彼がクリスチャンだったこと。札幌農学校時代に宣伝をうけて入信、以後は人からも認められる言動に変わったという。

この新渡戸稲造がある時アメリカ人から尋ねられたのが、日本人の道徳感だと言われている。このときすぐには渡辺は答えられなかったようだ。これではいけないと思ったのであろう!これがきっかけとなり『武士道』を書いたようだ。ちょうど1900年のとき、既に米国においては、日本人排斥運動が始まっていた。

*日本人のアイデンティ
本当のところは、武士道では無いはずだ。そのほとんどは、仏教と儒教によって支えられている。しかし、この2つ、どちらも日本独自のものではない。中国から渡ってきたものだ。そこで差別化を図る意味で『武士道』を引っ張りだした。

そして、その中核を『神道』とした。神道は日本独自のものだが、江戸期においては、仏教と融合している。まだ規範となったとされる「義、勇、仁、礼、誠」などは儒教からの借り物。日本の武士は基本として「四書五経」を学んでいる。ここに、天皇制の神道を加えることで、日本人古来のものとしたと考えられるだろう。

*執筆した1900年
明治維新から30年ちょっと。日清戦争に勝ったことで、世界から目を向けられることになった日本。欧米列強にとっては、日本人とは何者?俄然注目を浴びる。日本が今後、欧米と肩を並べてあるくには、日本人の良さをアピールしなくてはならない。それがこの著作の趣旨だった。

この本の影響もあってか!日本は英国とのあいだで、日英同盟(1902)を結ぶ。これは日本にとっては実に大きな意味を持っていたといえる。英国がお墨付きを与えたのだ。だが、貧乏国家日本は、まだまだ多難が待ち構えていた。ロシアのアジアへの進出である。まだ戦費を得るだけの国力のない日本。欧米企業家からの借り入れに頼ったのだ。このとき新渡戸の『武士道』が意味を持ったといえる。高橋是清が、欧米を駆けずりまわり、ようやく貸してくれる相手を見つけ出す。

*日露戦争とポーツマス講和
日本人の多くが日露戦争に勝ったと思っている。しかしどうも実態を違うということだ。この戦さ、たんに前哨戦に過ぎない。まだまだ余力を残しているロシアに対し、日本はもうこれ以上戦えることのできない状況だった。

これをよくわかっていたのが、米大統領のセオドア・ルーズベルト。両国の間にはいり、講和を結ぶように働きかけた。その結果、条約が結ばれ、終戦となる。しかし、日本のマスコミと民衆は不満だった。日清戦争のときのように、多額の賠償金がとれると踏んでいたのだが、これが全くなくなったため、怒りが収まらない。群衆は、焼き打ち(日比谷 アメリカ大使館)などを起こす。

このS.ルーズベルト大統領は、熱心に『武士道』を読んだ人物である。日本人の人間性や人格に、かなり惚れ込んだようだ。だからこそ、自ら積極的に動いたといえる。もしこの働きがなかったなら、その後の日本は大変なことになっていたはずだ。

*ねじ曲げられた『武士道』
新渡戸稲造は、立ち上げられたばかりの「国際連盟」の事務次長になっている。ここで、新渡戸は革新的な行動にでた。国連憲章に、人種差別撤廃を掲げたのだ。当時の参加国56カ国のほとんどが賛成に回ったが、議長の米大統領(ウィルソン)の一声で採用されなかった。

武士道そのものは、極めて素晴らしい尊徳律といえる。しかし、政治に軍部の発言力がますと、その内容が一変してしまう。国家のために戦うことにこそ、国民としての義があるとする。教育は国家神道への忠誠を求めるものになった。新渡戸稲造の考えていたものとは、まるで逆のものになったと言うことだ。

まとめ
今の日本人に尋ねても、日本人のアイデンティーは武士道という人はいないのではないだろうか。しかし、その徳目「義、勇、仁、礼、誠」は身に付けておくべきものと考える。

日本の今の教育で、果たして真の「道徳」は持てるのだろうか。宗教では無いにしろ、やはりそれに近いものが必要ではないだろうか。人が見ていないところでも、自分はキチンと襟をただす!そんな人が多くなってもらいたいものだ。

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