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寝たきり老人のいない、北欧国家スウェーデン!

#スウェーデンの介護
#看取り #墓じまい
#散骨 #延命治療 #胃ろう
#寝たきり老人  

人の死、これは誰にでもあること。ただ普段はあまり考えることは無い。というのも日本においては、ほとんどの人が病院で亡くなるためだ。日本でも60年70年前は今とはまったく違い、ほとんどすべての人は自宅で息を引きとった。これを間近で見ることで、どの人も「死生感」を持ったようだ。死は特別なことではなく、自分も自分の家族にも関わることと考えることで、「死」への意識が生まれてくる。

*変わりつつある看取り!
福祉国家である北欧の国スウェーデン。40年から50年前にスウェーデンでは老人介護の仕組みが変わったという。高齢となり介護が必要となっても、自宅にとどまるようだ。ほとんどが介護施設には入らず、介護士は自宅までやってきてくれて、短時間で世話をする。基本となる考えは、たとえ車椅子生活であっても、自らができる事はおこなう!そうした考えである。

さらに言えば、介護士はすべて公務員とされる。日本のように低賃金ということは無い。自治体2500人の職員がいれば、400から500人は介護担当だという。仮に食事を摂れなくなったからといって、胃ろうや点滴での栄養補給はおこなわない。それが最も自然であり、人間的なあり方と見ている。

日本でも、超高齢化がすすみ、今までの仕組みで対応することは難しくなった。国も、在宅での介護、そして看取りにカジはきったとされる。お金の面から変わりつつあるとはいえ、その方が高齢者にとっても幸せということだ。

*日本でも墓じまいが始まる!
スウェーデンでは、もともと遺骨について日本人のような意識は無いようだ。亡くなれば火葬され、その骨は役人により散骨されると言う。このとき家族や親族が立ち会うことは無い。というよりできない仕組みとなっている。人は死ねば土に還る!そういう考えだ。

日本でも海への散骨や公園墓地への樹木葬が増えつつある。骨への思い入れが減ったということだろう。大ヒットした曲「千の風」、この歌詞の一節に、「(死んだ自分はすでに)墓には入っていません」とあるが、これも今の時代をあらわしていると言える。墓そのものの意味も失われつつあるようだ。

*個人の意思を尊重する国家!
スウェーデンでは、高齢となっても一人で暮らし、子供や家族とは暮らさないという。とにかく自立した個人という考え方が徹底しているのだ。それでも家族は近くに住み、交流は盛んにあるとされる。

スウェーデン人として基本にあるのは、死ぬまで人生を楽しむこと。これは全世代共通の認識となっている。したがって、本人に希望があれば、食事制限やアルコール制限もない。家族・看護師・医療人すべてがこの考えのもと高齢者と接するようだ。

*延命治療は行わない!
私の母も、最近介護施設に入った。このとき様々な書類を書かされたが、その中に延命についての質問があり、いくつか答えた記憶がある。延命するかどうか?これを前々から母に言われていたのだ。もし胃ろうや点滴になったらやらないで欲しい!そう言われていたので、そのように書いた。

スウェーデンでは、一歩すすんで国として延命はおこなわない。延命そのものが虐待と考えるのだ。もう身体を動くことさえできず、意識もほとんどない。そんな状態であれば無理矢理チューブをつなぐのは、本人にとっても苦しいはず。そこを考えているとされる。

*まとめ
スウェーデンの税率は、日本よりかなり高い。だが、それでも福祉に使える予算は限られるといえる。だからこそ、無駄をなくし、個人を尊重する仕組みとなった。日本をようやく動き出したとはいえ、まだまだ脆弱であることは間違いない。介護職員の給料の低さや、老人医療についての考えが不十分と言える。

この辺りの内容は、政治の領域となるが、国としてももっと国民への理解をもとめ改善すべきではないだろうか。何もが後手後手にまわる政治だが、ここは引き締め、改善していって欲しい。

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