息をするように子どもの写真を撮るけれど
2歳と0歳の我が子。
怒った顔も、笑った顔も、泣き顔も、寝顔も全部キュート。
元気に歌を歌っている姿も、でんぐり返しが上手にできない姿も、すんごくキュート。
この瞬間は、今しかない
忘れたくない
と息をするように写真、動画を撮っている。
ハイチーズ🎵の写真も良いけど、飾らない、日常の様子を覚えておきたい。
そうなると、ほぼ盗撮。
本人の了承を得ていない撮影。盗撮。ででん
赤ちゃんの時は何も思わなかった。
裸のおちりでさえも写真に残しておきたくなる。
でももうすぐ3歳を迎える娘。
裸の写真はもちろんためらう。
ギャン泣きしている姿も、本人がこんなに泣いているのに、と思ってしまう。
たまにSNSに子どもがぐずっている動画を上げて、「動画とってないでだっこしてあげろよ」みたいなコメントが付いているのを見るけど、人がやっていることには何も思わない。
「かわいい〜泣いちゃったのね〜」と思うし、「お母さんも困っちゃって動画撮るしか消化する方法がないよね〜わかる〜」と思う。
それが自分が撮る側になると何故かためらう。
「今日こんなだったんだよ」と夫に伝えたい気持ちもあるし、じいじばあばに可愛い姿を共有したい気持ちもある。
将来の自分が振り返って「可愛かったなあ」と懐かしむのも想像できる。
ただ、娘の気持ちになると、恥ずかしい場面は撮らないで欲しいと思うのではないか。
だんだんこの気持ちが湧いてきたのは、娘にも自我がどんどんわいてきて、体も成長し、私も娘を別の人間だと思うようになってきたからかもしれない。
だから私は文章に残したい。
絵が描ければいいなあと思うけど、生憎才能がないもので。
娘が話してくれたこと、かわいい言い間違い、弟と兄弟喧嘩が始まったこと、ぐずってぐずって私も限界だったこと。
将来読み返して、夫と2人で「懐かしいね、大変だったね、それでも楽しかったね」と笑うのが今の夢だ。