絵本探求ゼミ第2期、第1回講座を終えて
絵本探求ゼミ(ミッキー絵本ゼミ)第2期が始まりました。
9月11日(日)の第1回講座の振り返りをします。
① チーム内で自己紹介
編成は5チームからなり、私はチーム1。人数は6名で、第1期からの継続は3名。FAのわこちゃんは、第1期のチームでも一緒だったので、安心がありました。新規受講者は、お勧め絵本1冊を用意し、自己紹介。また、知らない絵本に出会えて、手に取って読んでみたいと思いました。1冊の絵本には、その方その方のエピソードがあって、改めて絵本の魅力を感じました。
② 受講動機と目標
【受講動機】
この講座の目的は、「絵本理論を学び、自分の経験をベースに自分の頭で考え、言語化できるようになる」ということで、問いを立て、講義を聴き、グループディスカッションをして、自分の言葉でアウトプットするという流れで進められます。第2期は、ジャンル別アプローチで絵本を学び、「いい絵本の条件は何か」について考えるということ。第1期とは別の切り口で絵本が学べるということで、継続で申し込みました。いろいろな視点を持って、絵本の魅力を再発見し、その魅力を自分の言葉で伝えられるようになりたいと思いました。
【目標】
・中学校特別支援学級の支援員をすることになり、図書室のお仕事は、お昼休みだけになりました。いろいろな課題のある生徒達の心に寄り添う中で、絵本を活用したいと思っています。
・支援団体の活動の一環である児童養護施設(幼児から高校生)へ絵本の選書と郵送のお手伝いをしています。いい絵本の選書ができるよう学びを深めて、災害を経験している子ども達の心のオアシス的な文庫に育てていきたいと思っています。
③ 昔話絵本について
【昔話の定義】
『Oxford, Dictionary of English Folklore.』より
・伝統的な物語書式に添った語りの散文
・口承により世代を超えて伝えられる。
・作者不明
・昔話の型(カタログ)はAT型(アーネル・トンプソンのタイプ・インデックス…世界各地に伝わる昔話をその類型ごとに収集・分類したもの)
※活字によって、声の文化から文字の文化へ転換。それまでは写本だった。活字に印刷された時、作者名は再話になる。
【昔話と昔話絵本の定義】
『昔話と昔話絵本の世界』p17より
藤本朝巳 著 日本エディタースクール出版部 2005年
・発端句(むかしむかしあるところに…)から始まり、伝聞を示すことば(とさ・げな・そうな等)を添えて語り進めながら、それが又聞きであることを示し、結末句(どっとはらい等)をもって終わる伝承文芸である。
・絵本の中のテクスト(物語)が伝承されてきた昔話である。
※文字と絵の両者が補い合って、相乗効果になっている絵本は、いい絵本といえる。
【昔話研究におけるアプローチ】
・構造論(外側から課題が与えられ、解決する)
・昔話の型( AT型)
・様式論→語法
『ヨーロッパの昔話―その形式と本質』
マックス・リュティ 著 小澤俊夫 訳 岩崎美術社 1969年
『昔話の語法』
小澤俊夫 著 福音館書店 1999年
[リューティの様式論](小澤俊夫『昔話の語法』より)
(1)一次元性
(2)平面性
(3)抽象的様式
(4)孤立性と普遍性
④チーム内で昔話絵本紹介(継続受講者3名)
ディスカッション後、ミッキー先生から解説がありました。
私が選んだのは…
いろいろな作家さんの絵本が出ていますが、私はこの赤羽末吉さんのデビュー作でもある『かさじぞう』が大好きで選びました。
・どのページも紺色の和紙をベースに扇型の絵の中にお話が描かれています。
・外は雪深くて寒く、おじいさん、おばあさんは、貧しいけれど、ほのぼのと描かれていて、ホッとします。
・赤羽さんは雪を描くことへの思いについて、中国大陸から日本へ戻ってきた際、日本の美しさの中に、湿気の美しさ、陰りの美しさがあると気づき、その日本のシメリを表現したかったと語っておられます。雪の中に何度も取材に行かれたそうです。絵をよく見ると、筆に含まれている水分量や筆運びの緩急、筆の向きの変化など微妙な雪の表現の違いを感じます。雪の表現がとても豊かに描かれています。
・瀬田貞二さんの独特の表現も昔話の世界に引き込まれます。
「よういさ、よういさ、よういさな」のお地蔵様の掛け声も味があります。雪が「もかもか」降るとかお地蔵さまが「のっこのっこ」と帰っていった、めしを「さくさく」食べたというオノマトぺも面白いです。
・発端句(むかし、あるところに…)から始まって、伝聞を示すことば(…したと。)を添えて語り進めながら、結末句(どっとはらい。)をもって終わっています。
→ミッキー先生の解説
・扇形の中に描くことについて、福音館書店の松居直さんは反対したが、赤羽さんは強く主張した。扇型の枠が強すぎる。これだとこのお話は、作り話ですよと訴え続けている。子どもは、「むかしむかし…」から始まって、「どんとはらい。」までそのお話はリアルだと思って聞いている。「絵本は体験である」子どもはその世界に生きている。大人は、日本らしいとか、美しいとかいう先入観で見るが、この世界から見たら作りごとになる。
赤羽さんは、枠として捉えることは、外側からしか見ていないということで、このデビュー作の後は枠を使っていない。
・お地蔵さんが歩くなんて現実ではありえないが、あたかも地続きのように再現されている。(一次元性)
チームからは…
残酷な場面について…おばあさんの死体は描かず、着物だけが描かれている。狸の死体は描かずに、おぼれているところで終わっている。(昔話の平面性)事実は伝えるが、表現を落として描く工夫がされているので、残酷なものがそうでないように描かれている。画家が昔話の本質をわかっている。
昔話を真似た創作になる。再話ではない。
その他、印象に残ったミッキー先生の解説
・『ももたろう』→戦時中、戦意高揚のために使われ、児童文学者は心を痛めた。
宝物は、持ち帰らないストーリーになっている。松居直さんは、子ども達に何を伝えたいかを優先した。子どものためにわかりやすく作ることを心掛け、訳のわからない結末句を入れなかった。作り手の意思反映されている。自分がその作品で何を伝えたいかが、大切になってくる。
宝物を持ち帰るストーリー。昔話の基本に沿っている。小澤俊夫さんは、昔話研究の第一人者でもある。
第1回講座を終えて、昔話絵本は、同じお話でも何冊も出版されていて、作者が何を伝えたいかで、内容の一部が変わっていることも学びました。作者の想いも知って、選書しないといけないなと思いました。
昔話は祖母の家に泊まった時に、寝床で祖母の言葉で語ってもらったことを思い出しました。小学校の先生だったので、語りが上手く、私の頭の中で想像が膨らみ、お話の世界に浸ることが出来ました。きょうだい4人が、聞き入ってそして、自然と眠っていったように思います。大好きな時間でした。イソップのお話もよく語ってくれました。私の中では、昔話は絵本より、語ってもらったことの方が記憶に残っています。
『昔話を考える』(松岡享子 著 日本エディタースクール 1985年)の中で松岡享子さんは、次のことを書かれています。
「すぐれた画家による昔話絵本は、一方では、たしかに子どもたちの想像力を刺激し、昔話の世界をかれらに近づけるという役割を果たしています。しかし、もう一方で、昔話が、本来のやり方で~つまり、語ることによって伝えられたならば、当然子どもたちに働きかけたであろう力を、昔話から奪うこともあるのだということ…(中略)…どのようにすぐれた昔話絵本が作られようとも、絵抜きで、ことばだけで、子どもたちに昔話を語って聞かせることの大切さを、忘れてはならないと、私は考えます。」(p113.p114)
孫にどんな風に昔話を伝えるのがいいのか、考えた時、祖母にしてもらったように、私の言葉で語ってやりたいなぁと思いました。それには、自分の中に、昔話を落とし込む必要があります。昔話が子どもに対してもっている意味を理解するためにも、学びを深めたいと思いました。