ぼおるぺん古事記二次創作六
こうの史代先生の「ぼおるぺん古事記」二次創作小説です。オリジナルキャラクター(神)や独自解釈及び妄想を多分に含みますので、ご容赦ください。
やこうやこう
季節は巡って、あっと言う間に春と夏の間の皐月になった。
「ふえ……」
小さなぐずりが、ナムヂ──オオクニヌシの耳に届いた。
速やかに起きて、自分と妻スセリ──スセリビメに挟まれて寝ている御子神、シロタエ──シロタエノイズモヒメに目をやる。
怖い夢でも見てしまったのだろうか、シロタエは頭を振り振り、今にも泣き出しそうだった。
オオクニヌシは素早くこっそりとシロタエを抱き上げ、妻を起こさぬよう忍び足で出かける準備をし、宮から出た。
明るい月夜だった。どうやら今宵も、ツクヨミ様は優雅に楽しく神酒を嗜んでいらっしゃるらしい。
寝屋から少し離れたところまで来た時、シロタエが大声で泣き始めた。
「どうした? ここ最近泣いてなかったのに、久しぶりだなぁ」
優しく声をかけながら揺らしていると、隣に忠実な随身たるイノシシ神がやって来て、
(お出掛けになりますか?)
「ああ、頼む」
オオクニヌシはイノシシ神に荷物を取り付け、ひらりと器用にまたがった。
娘が夜泣きをする度、オオクニヌシはこうして外に連れ出し、イノシシ神と共に夜歩きに出かける。
妻が昼間頑張ってくれている分、夜は静かに寝かせたかった。他の妻達への通い婚のおかげで、夜通し歩いて戻るのは平気だった(スセリに言ったら怒られるが)。
イノシシ神の揺れが心地よいのか、時折吹く夜風が心地よいのか、はたまた綺麗な月の光を見てか、しばらく歩いていると、シロタエは泣き止み落ち着いてきた。
幼いながらに自分とよく似た顔で(千歳緑の瞳と、不思議そうにすぼめられた口元は、妻そっくりだった)きょときょとと夜の世界を見回す赤ちゃん姫神を見ていると、オオクニヌシは妻の懐妊時からこの子が産まれるまでのありとあらゆる事を、まざまざと思い出せるのだった。
*
スセリと自分との間に御子神が出来たとわかった刹那の気持ちは、簡単には言い表せない喜びに溢れていた。
寝屋での事を何度も受け入れ何度も求めてくれ、自分をまた父親にしてくれた妻への感謝と祝福と、久方ぶりに父親になれる喜び、そして何より、今度は最愛の妻と共に御子神の成長を見守ることの出来る喜びがごたまぜになっていたからだ。
本当に、本当に久方ぶりの、新しい命。新しい御子神。そしてスセリとの初めての御子神。
スセリとはずっと御子神が出来なかったこともあって、抱き締めて泣いて祝福したら、
「あなたの御子神でもあるのよ」
とスセリに言ってもらったのは、いい思い出だ。
それから民や他の神々に祝ってもらい(タケミカヅチに嫉妬してしまったことや、スサノオとアマテラスからの贈り物で宮がいっぱいになってしまった時のことは、今でも笑えてくる)、時に助けてもらっている内に、とうとう御子神が産まれる日がやって来た。
あの日は、真夜中にふと目が覚めて、寝ようとしてもなぜか目が冴えてきた。
そのままじっとしていると、いつの間に行ったのか、産屋の方からイノシシ神の声が聞こえた。
(──いよいよ産まれるのか)
急いで支度をして転がるように外に出ると、雪は止んでおり、ただしんとしたぬばたまの晴れた夜空が広がっていた。
積もった雪を蹴散らして産屋の入り口まで来た時、イノシシ神が戸口に陣取って門番をしていた。
「ご苦労」
労いの言葉をかけて隣に座ると、イノシシ神は鼻を鳴らして伝えてくれた。
(それがしが駆け付けた時には、まだ始まったばかりでした)
「そうか……」
オオクニヌシは一言だけうなずいて、そのまま前に向き直った。
寒さなど気にならなかった。恐ろしくも愛しい妻が受けている苦しみに比べればどうということはなかった。
時間が経つにつれ、スセリの痛みに呻く声が強くなってくる。オオクニヌシは思わず呟いた。
「何度目でも慣れるものではないな……」
こういう時──他の妻達の時もそうだったが、代われるものなら代わりたい、と切に思う。
だがここで自分に出来ることは、今も昔も情けないが祈ることだけだった。
(どうか二柱とも無事であってくれ、頼む……)
そうして必死に祈り続けていると、いつの間にか夜が明けていた。
朝の晴れやかな青空になって、オオクニヌシは初めて空を仰いだ。
と、沸き立つばかりの清々しい白雲が出て来た。
雪の晴れ間の雲。出雲の名前の元になったような白い雲。
ふとその中に、スセリの姿が見えた。
スセリの方もこちらに気付いたらしい、オオクニヌシに顔を向けて来た。
妻と目が合った瞬間──元気いっぱいの産声が、オオクニヌシの耳を打った。
はっ、と正気に戻ると、妻の姿は消えていた。
産屋の中から、サクヤビメの祝福が聞こえる。
「おめでとうございます! 元気な姫神様ですよ!」
ややあって、スセリの大きな嬉し泣きの声が聞こえてきた。
オオクニヌシは、強張った体から力が抜けていくのを感じた。
代わりに、心の底からの喜びが沸々込み上げてきた。
ふらふらと地面に下り、雪の中にうつ伏せに倒れ、仰向けになって青空を見る。
大粒の涙が溢れ、同時に笑い声が喉から迸った。しばらく、泣き笑いが止まらなかった。
この日のことを、オオクニヌシはこれから先もずっと忘れない。
*
初めて抱っこさせてもらった時よりも、シロタエは重くなってきている。
それもそのはずで、シロタエはもう六ヶ月。首がしっかりとすわって、手で支えてやれば座れるようになった。
食べられるものだって増えてきた。おっぱいに加えて、お粥や柔らかくした野菜や果物も食べ始めるようになっている。
「いつかお前と母様とで神酒を酌み交わせたらいいな。今はまだおっぱいかお茶だけど……」
あやしながら、オオクニヌシは御子神に語りかける。
いいや、酒だけではない。平和になった今、色んなものを一緒に食べていきたいし、色んなことをしたい。そう切に思う。
「あわ?」
シロタエの小さな手がオオクニヌシの頬に触れる。
「帰ろうか。母様がお粥より熱々の焼きもち妬いちゃうからね」
オオクニヌシが笑いかけると、シロタエもにっこり笑い、やがてそのまま安らかな寝息をたて始めた。
「ねーん、ねーん、ねんねんやー……」
かつて民達が歌っていた古い子守唄を口ずさみながら、オオクニヌシは忠実なる随身と、愛娘と共に家路を辿った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?