ぼおるぺん古事記二次創作四
こうの史代先生の「ぼおるぺん古事記」二次創作小説です。オリジナルキャラクター(神)や独自解釈及び妄想を多分に含みますので、ご容赦ください。
うまるうまる
師走。久しぶりに雪が積もった。
臨月ということで、スセリビメは一週間前から産屋の宮で寝泊まりしている。
義母やヤマツミ姉妹、貝姫達が同じ宮に泊まってあれこれ世話を焼いてくれて、ナムヂもナムヂで、産屋に入れない代わりにイノシシくんづてに様々な差し入れをしてくれたり、足りないものを持ってきてくれた。
スセリビメは、
(懐妊がわかった時から思ってたけど、長い年月が経つと神も人も変わるものなのかしら)
と考え、しかし同時に、他の妻たちが懐妊した時も世話を焼きに行っていたことを思い出した。
ああ、これは惚れるわ……と思い、しかしそれはそれ、これはこれ、と思い直したものだった。
忘れもしないその日。
スセリビメはふと真夜中に目が覚めた。
(雪はまだ降っているかしら)
何とはなしに、外を見ようと布団から起き上がった時。
弱い痛みが、下腹に走った。
ん? と腹に手をやると、痛みが少し強くなった──と思うと弱くなり、しばらくすると強くなる。
それがどれほど続いただろうか、
(……産まれてくるの?)
スセリビメが心の中で語りかけると、そうですとでも言うように、はっきりとした強い痛みと共に下腹から何かが弾ける音がした。
同時に、足の間からじわりと水のようなものが出てきて、夜着を濡らす。その間も、ずきずきと痛みは続いている。
「っ……」
スセリビメは唇を噛んだ。いよいよなのね、と覚悟を決めた。
(取りあえず、お義母様達を起こさなきゃ……)
痛みを堪えて何とか立ち上がった時、戸口に四つ足の大きい獣が入った。
スセリビメもよく知っている、赤い体毛の獣。夫の良き随身。
「イノシシくん……、どうして……?」
一瞬痛みを忘れて、獣──イノシシくんをまじまじと見つめる。
(野生の勘が働きまして、急ぎ宮から駆けつけました)
人間のように、器用に前足後ろ足をしっかりと拭いたイノシシくんは、静かにスセリビメに歩みよった。
(さ、それがしめにお掴まりください。この日に備えていつもより丹念に体を磨いております故)
スセリビメは素直にイノシシくんに甘えることにした。大きな体に寄りかかり、赤い毛をしっかりと掴む。
(皆様に合図をお送りします。うるさいですが、どうか御免)
「うん」
スセリビメはうなずいた。痛みはだんだんと強くなって来ている。思わず毛を握りしめてしまう。
イノシシくんは静かに鼻を鳴らすと、息を思い切り吸い込んだ。
そして、
「ぶぅうおおおおおっ!」
口から雄叫びを上げた。途端に隣部屋から物音が聞こえる。義母達が起きたのだ。
ややあって戸が開き、出産に必要な道具をあれこれと揃えた一堂がスセリビメ達に駆け寄った。
さっそく貝姫達がいざという時の薬の調合を始め、ヤマツミ姉妹が道具を適所に置いていく。
「ああ、イノシシくんだったの。起こしてくれてありがとうね」
義母のサシクニワカヒメがスセリビメに手を貸して、布団に座らせてくれる。
スセリビメはゆっくりと、積み上げた別の布団にもたれかかった。ついさっき、イワナガヒメが置いてくれたものだ。
「スセリビメ様、ちょっと失礼」
豊かな黒髪をまとめたサクヤビメが、足の間を確認する。
「産道が開いて来てる……。けどまだ完全じゃない」
「イノシシくん、ここからは私達がやるから、あなたは門番をしてくれる?」
(御意)
サシクニワカヒメにイノシシくんが、ふんす、と強く鼻を鳴らし、
(ではスセリビメ様、御子神様共々、どうかご無事で)
「うん、ありがとう」
スセリビメがうなずいたのを見届けて、イノシシくんはそっと出ていった。
*
貝姫達がお湯を持ってきたあたりで、痛みが一層強くなった。
腕捲りしたサシクニワカヒメとイワナガヒメが、痛みを和らげようと、腰を休みなく思い切り押してくれる中で、スセリビメは、自分の蛇の髪飾りを必死に握りしめていた。
しかしそれでも、下腹どころか鳩尾まで絞られるような痛みになってきて、スセリビメは叫んでしまう。
戸口で夫の声が聞こえた気がしたが、そんなことを気にかけている暇もない。
「うん、完全に開いた」
サクヤビメが冷静に確認すると共に、サクヤビメの横に貝姫達が、スセリビメの横にサシクニワカヒメとイワナガヒメが来る。
「難しいだろうけど、落ち着いて呼吸して。御子神も苦しくなるわ」
義母がお腹を擦ってくれる。
「さ、私の腕を遠慮なく掴んで。サクヤの合図と共にいきんでください」
イワナガヒメが両腕を差し出してくれ、スセリビメはそれを掴む。
それからは生かさず殺さずの拷問だった(赤ちゃんには申し訳ないが)。ほんの少し休んでは、強い痛みと、サクヤビメの声を合図にいきむのを繰り返す。
「お上手ですよ。もう一回」
と何度もサクヤビメ達がほめてくれるが、終わりの見える気配のない拷問に、スセリビメは絶望しかかっていた。
(ナムヂめ、自分はヤるだけヤっといて我々妻達をこんな目に遭わせるとは……)
スセリビメは、かろうじて残っていた意識で他の妻達に同情した。
(この子が無事産まれたら、絶対に腹パン食らわせてやるわ……!)
その決意が赤ん坊に伝わったせいなのかわからない。一層強い痛みが襲ってきて、いきむのと同時に──何も聞こえなくなった。
何も見えない。力も抜ける。ああ、神去るのか、とぼんやり思った。
タラシナムヂに腹パンを食らわせるどころか、我が子の顔を一目見ることもなく。
それと同時に、青空に浮かぶ白い雲が何故か眼前に浮かんだ。
雪の晴れ間の雲。出雲の語源になった、沸き立つばかりの清々しい白雲。
ふと下を見ると、産屋が見えた。
その入り口近くに、夫の姿が見える。
ああ、やっぱり来て待っててくれているのね。
と、夫がこちらを向いた。
目が合った瞬間。
「──アアァ! オアアアア!」
元気いっぱいの声が、スセリビメの耳をつんさいだ。
途端にはっ、と意識が戻る。
取り上げられたばかりの赤ん坊が、サクヤビメの手の中で大きな産声を上げていた。
「おめでとうございます! 元気な姫神様ですよ!」
サクヤビメが振り返って言祝いでくれる。
ああ、ついに産まれて来てくれた……。スセリビメは嘆息した。
新しい御子神、それも私達の御子神、自分にとって初めての……。
さっきまでの絶望も怒りもふっとんで、喜びの感情だけが頭を埋める。
スセリビメは誰にも憚らず、大声で泣いた。
いつの間にか開けられていた天窓から、朝の青空と、白い雲が見えた。
*
イワナガヒメと貝姫達による地獄の後産ケアを受け、片付けをして着替えもした後、スセリビメは産湯に浸かって綺麗になった赤ん坊を抱かせてもらった。
小さくて赤々として温かい。まさに命の塊。
皆から「ナムヂの方に似ている」と言われていたが、改めて見ると、確かにそんな気がしてくる。
「あなたは父様似みたいね。でもタラシなところは似ちゃだめよ」
冗談混じりに笑いかけると、赤ちゃん姫神は返事でもするかのように、口をすぼめた。
その口の形が、自分や、父スサノオになんとなく似ていて、ああ確かに自分の血も入っている、と目頭が熱くなってくる。
そしてふと出た楽しい悩みに、スセリビメは心を踊らせた。
この子の名前、何にしよう?
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